ベトナム見聞録

ベトナム見聞録

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ベトナム旅雑記

2005年06月11日
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カテゴリ:ベトナム旅雑記
 ホテルのロビーに酒とつまみが用意され、宴会がはじまった。酒はruou canと呼ばれる大きな甕に入れられた発酵酒。竹のストローで飲むようになっている。順番に互いにすすめながら(というか、強制しながら)酒をチューチュー吸って飲む。すこししか飲まなかったら、「もっと飲め」とブーイングが飛ぶ。おそろしい世界なのだ。

 たばこも箱を皆で共有し、たがいにすすめながら吸う。ベトナムでは、普段はたばこを吸わないが誰かといっしょに飲んだりするときだけ吸う、というカジュアルスモーカーが多い。健康に気遣っている面も確かにあるかもしれないが、たばこが高いのも理由のひとつだろう。安いたばこもあるが、おいしくないし、そんなものを吸っているとステータスに傷がつくので、ある程度の社会的地位のある人なら最低でも一箱1万ドンぐらい(約80円)のものを吸う。ステータスなんて気にしなくていい人は、水たばこを吸う人が多い。竹のパイプに水を入れ、ぶくぶくいわせながら吸うやつです。これは安い。くらくらするぐらいきついですが。

 定番の酒のつまみにまじって、テト料理も供される。テト料理といえばバイン・チュン。もち米の中に豚肉や緑豆を入れ、バナナの葉でくるんで湯でる。おいしいのだが、やたらと大きい上に腹にたまるので、たくさん食べられるものではない。どの家庭でも大量につくるため、何軒も新年のあいさつにまわると、またバイン・チュンですか・・・と見たくもなくなる。おいしんだけどね、本当に。

 宴も終了し、酔っぱらって自室に戻ってベッドに倒れこんでいると、ノックの音が。開けるとホテルのおばさんが手にバイン・チュンを持ち佇んでいる。

 「せっかくの正月なのに一人じゃ寂しいだろう。まだまだたくさんあるから持ってきたよ。食べなさい」

 またバイン・チュンかい・・・

 正直そう思いました。でもおばさんの心遣いは本当にうれしかった。正月に一人でいることは、日本でも寂しいこととされているが、ベトナムでは「気も狂わんばかりに寂しいこと」というのが社会通念になっている。ホテルの人たちは、私の寂しさを慮って身内の宴に誘ってくれ、そしてバイン・チュンの差し入れまでしてくれたのだ。ありがとう、それ以外に感謝の言葉も思いつかない。言葉が出ないなら態度で示せ。残さず食ってやろうじゃないか。このおにぎり10個分ぐらいはあるかという気も狂わんばかりに巨大なバイン・チュンを! 

おわり

  






最終更新日  2005年06月11日 19時00分51秒
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2005年06月10日
カテゴリ:ベトナム旅雑記
 バイクでバンメトートに向かった。空は気持ちよく晴れている。こんな広くてきれいな青空を見たのは本当に久しぶりだ。空は青く、緑は濃く、土は赤い。私の見慣れたハノイの冬とは大違いだ。ハノイの冬はいつでもどんよりしていて、霧雨が絶えず降り、やたらと湿度が高い。ベトナムにもこんな広々とした大地と空があったか、風を切りながらそんな感慨にひたる。

 バンメトートの中心の広場では、ちょっとした市がたっていた。日本の初詣を思わせるような、さまざまな屋台が軒を連ねている。目立ったのはギャンブル屋台だ。ベトナムではギャンブルは法律で禁止されているはずだが、大っぴらに繁盛していた。丸い板を手でぐるんと回し、回っている間にダーツを投げる。円の面積の約半分は青で、約半分は赤。そして20分の1ほどを黒が占める。客は青か赤に賭ける。当たれば同額の払い戻し。外れれば没収。黒にダーツがさされば、胴元の総取り。わかりやすくていい。大人も子どもも紙幣を握り締めながら、大いに盛り上がっていた。

 帰りにものすごく長い下り坂があった。このような坂では、ベトナム人はバイクのエンジンを切る。すこしでもガソリンの消費を減らすためだ。私もまねしてエンジンを切ってくだった。下り終わってエンジンをかけようとすると、キーがない。差したままにしておいたのだが、坂の途中で落としてしまったのか!?

 バイクを停め、自分の間抜けぶりを呪いながら坂道を登る。上まで坂を上り、そして下るがバイクのキーはみつからない。どうしよう。プレイクはまだまだ先だというのに。でもベトナムでは困ることも多いが、なんとかなってしまうことも多いのだ。

 こんな田舎道でも数百メートルおきには人家がある。そしてベトナムの道路脇には「修理屋」がやたらと多い。

 なにか技術を身につけようと思い立ったとき、日本人は道具から入る。そして本を読んだり教えてもらったりして技術を習得しようとする。欧米人は技術の習得が先に来て、その後己の技術に応じた道具をそろえる。ベトナム人は道具よりも技術よりも、まず看板を出す。たとえば「バイク修理」といった看板を。

 というのは大げさなのだが、そうも思いたくなるような素人くさい片手間修理屋がたくさんいる。でもそんな修理屋でも紆余曲折しながらもなんとか修理してしまうのだ。今回は数人の男がなんだかんだと言い合いながら、どうやったのかわからないがエンジンがかかるようにしてくれた。悪い人たちはこうやってバイクや車を盗むのか。とにかく助かった。ありがとう、うさんくさいおじさんたち。

 プレイクに着いた頃には真っ暗になっていた。バイクを貸してくれた兄さんに鍵を失くしたことを報告。謝って追加で5万ドン支払ってゆるしてもらった。ごめんなさい。

 夜はテト(正月)の宴会だ。ぼくも唯一の宿泊客としてご招待にあずかる。さあ、飲むか。つづく

 

 






最終更新日  2005年06月10日 23時03分12秒
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2005年06月08日
カテゴリ:ベトナム旅雑記
 街の中心部にあった宿に決めた。そこそこ大きなホテルだが、宿泊客は私一人だった。あたりまえか、いまはテト(旧正月)休みだからなあ。

 この小旅行は2001年2月のことなのだが、このすこし前に中部高原で暴動があった。ベトナムでは私の知る限りまったく報道はされていなかった。知り合いのベトナム人に訊いても、誰も知らなかったし。だがハノイに住む日本人の知り合いは皆知っていた。外国では報道されていたみたいだ。
 
 私も詳しいことはわからないのだが、以下のような経緯で発生した暴動らしい。1995年以降はコーヒー景気に活況を呈していた中部高原であったが、ベトナム各地から移民が押し寄せ、先住民と新たな移住者の間に軋轢が生じていた。先住民の移住を強いるダム建設なども不満を増大させる原因となった。そして2000年にコーヒー価格暴落し、不満が最高点に達し、今回の暴動につながった。中心になったのはプロテスタントの団体らしい。海外に居住する反共的な越僑団体の扇動があったともいわれている。

 そのような事情もあり、村にお邪魔させていただいてお墓を見させてもらうには、ちゃんとした案内人が必要になる。ひとりでぶらりと入り込むのはこのような状況下では得策ではないし、礼儀にもかなってないだろう。だが頼りにしていたツーリストインフォメーションはテト休みだ。通常なら、ここで車やガイドの手配ができるのだが。無計画過ぎたか。まあいい、今回は村訪問はあきらめよう。てきとうにぶらぶらするぜ。つづく






最終更新日  2005年06月08日 23時47分52秒
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2005年06月05日
カテゴリ:ベトナム旅雑記
 フエになんとか到着。20時間ぐらいかかったか・・・。背中が痛い。フエで一泊してリフレッシュする。

 翌朝、早朝にフエのバスターミナルに行く。ザライ省のプレイクまで一気に行くつもり。バンメトートまで行くというミニバスがあった。車掌役のおばちゃんと話すと、プレイクも通るということなので、乗ることにした。料金は5万ドンとのこと。

 大型バスだろうとミニバスだろうと、ローカルバスはぎゅうぎゅうに客を詰める。そして出発。途中、何人もが車酔いでもどしていた。ベトナム人は車に弱い人が本当に多い。大人も子供もじゃんじゃん景気良く吐く。私の横に座っていた推定12才ぐらいの女の子も、窓から顔を出し何度も吐いていた。その女の子の眼光は、この年齢にして酸いも甘いも知り尽くした経営不振の場末のマダムのように荒みきっていた。車酔いがつらいんんだろうなあ。私も子どものころはよく車酔いをしたので、その辛さはよくわかる。遠足の度に吐いていた。

 「ブランコに乗って遊ばへんから酔うねん」

 当時担任の女の先生にそういわれて、子供心なりに「でたらめいいやがって」と腹を立てた記憶がある。

 でも窓を開けて窓から直接吐くのはやらなかったぞ。ちゃんとビニール袋に吐いていた。いや、正確に言えば、同じく苦しくなって通路に横たわっていた同級生の顔の上に吐いたこともある。でもそれはビニールをもらいに行こうとして間に合わなかった不可抗力だ。窓から吐くと窓に吐瀉物がはり付くし、後ろの人に迷惑がかかるじゃないか。うかつに後ろの人も窓を開けていたら大惨事になるぞ。家の用事で買出しにでも来ていたのか、ひとりでバスに乗っているのはえらいと思うが。

 前のおばさんはちゃんとビニールに吐くのだが、そのビニールを窓からぽいぽい捨てていた。おそろしい。ベトナムでバイクに乗るときは十分注意したほうがいい。バスを追い抜いたりまたは追い抜かれたりするとき、ゲロ爆弾が飛んでくるから。

 ハイヴァン峠を越えて、ダナン、ホイアンを通り過ぎ、とうとうクイニョンの手前に辿り着いた。早朝にフエを出たというのに、空はもう薄暗くなりかけている。ここから1号線とおさらばし、西に進路を取るはずなのだが、ミニバスはその分岐点のT字路のところで停まってしまった。運転手とおそらくその妻の車掌がなにやらこそこそ話している。停車がちょっぴり長引きそうな雰囲気なので、私は外に出て、身体を伸ばす。車掌のおばさんが他のバスを止めてそのバスの車掌となにやら交渉している。そしてこちらに戻ってきた。

 「あっちのバスに乗っとくれ。この車はもうここで終わり。お金は向こうの車掌にそれぞれの代金分私から払うから」

 気まぐれバスめ。バンメトートまで行くと言ってたじゃないか。でもぼくも他の乗客も文句は言わず、乗り換える。車掌同士の清算も済み、発進。これでめでたしめでたしのはずだったのだが、そうは問屋が卸さなかった。

 乗り換えた乗客は10名ほどだったのだが、そのうち私を含む7名がプレイクまでで、あと3名の親子がバンメトートまで行くことになっていた。しかしさきほどのバスの車掌はえげつない悪知恵を働かせて全員プレイクまでと偽り、プレイクまでの代金でしか清算していなかったのが判明したのだ。

 新たなバスの車掌はバンメトートまで行くなら追加代金を払えと言い、3人親子の父親と母親は金はすでにさっきの車掌のおばさんに払ってあると反論する。ベトナム人はこういった口論は派手にやる。声高に主張しないと負けてしまうからだ。でもどちらも被害者。許せんのは気まぐれバスのおばさん車掌。こすいまねしやがって。私はもとからプレイクが行き先なので実害はなかったが、怒りふつふつとわきました。気分が悪い。

 おんぼろバスは坂道をあえぎながら登る。外はもう真っ暗で景色はみえない。やっと念願のザライ省が近づいてきた。遠かったなあ。ローカルバスでのべ30時間以上はかかっただろう。今夜はゆっくり寝て疲れを癒そう。つづく。
 

 






最終更新日  2005年06月05日 09時50分27秒
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2005年06月03日
カテゴリ:ベトナム旅雑記
 まずはフエまでバスで向かう。バスターミナルにはフエ方面行きのバスがいくつか停まっている。どのバスにも乗客がすでにちらほら乗っていて、どれが最初に出るのかわからない。ええい、一番乗客の多いバスに乗っておけば間違いはなかろう。他のバスの強引な客引きを振り払い、乗り込む。

 ベトナムのローカルバスの座席は狭い。特に前後の幅が狭い。私はベトナムでは大柄な部類に入るので、うかつに窓際に座り閉じ込められると辛いことになる。足を斜めに伸ばせるように通路側を確保する。

 座席が埋まり、通路のスペースも徐々に埋まりだす。通路といっても立つわけではなく、どこからか出してきた銭湯の腰掛風イスに座る。足の踏み場がもうないぐらいに混雑している中を、売り子が強引に割り込みながらさまざまなものを売る。パン、ビニール袋に入れたジュース、とうもろこし、果物、ゆで卵、たばこ、ガム、宝くじ、サングラス・・・。乗客は各々食料をひろげ、ゴミを床に散らかしながら食べる。 エンジンがかかった。ようやく出発だ。売り子はあわててバスから降りる。

 乗客のすべてがフエまで行くわけではなく、途中で降りる人もいれば、途中で乗る人もいる。ベトナムにバスターミナルはあるが、バス停はない。降りたいときは降りたい場所で降りると叫び、乗りたいときは乗りたい場所で手を上げてバスを止めればいい。

 街を抜け、田舎の道に差し掛かったころに、ひとりのおじさんが前に進み出て、大きな声で演説をはじめる。手に何かを持っていて、その品をしきりとアピールしている。最初は何を言っているのかよく解らなかったが、次第に飲み込めてきた。おじさんは手に持っている怪しげな小さい物体を乗客に売りつけようとしているのだ。といっても、おじさんも乗客なのだが。

 おじさんは長い前口上を中断し、通路に腰掛けている人々を掻き分けながら乗客全員に商品を配りだした。いや、配るというより無理やり手に押し付けていった。私の手元にも来た。それは干した一対のタツノオトシゴだった。

 おじさんは再び前に戻り、仕上げの口上をのたまう。

 「高級なタツノオトシゴだよ。オスメス一対のタツノオトシゴ。焼酎に漬けてごらん、おそろしいほど精が付くから。どこでも買えるモノじゃないよ。それもたったの6万ドン。さあ買った買った。買う人は手を挙げて!」

 だれが買うねん。6万ドンといったら400円ちょい。日本の物価で例えると、5千円札を一枚出すぐらいの覚悟がいるのだ。おいそれとポンと出せる額ではない。そもそも安くとも干したタツノオトシゴなんて欲しいか?要らないね。売れないよ、売れるわけがない。寂しくうなだれるおじさん、となるはずが・・・

 「ムア!!(買う)」

 えっ!?

 なんとけっこうな数の人が手を挙げてムア宣言を高らかに表明しているではないか。私の小賢しい常識、通じず。おじさんは当然といった面で買う人からは代金を、買わぬ人からはオトシゴを回収してまわる。やるなあ、おじさん。

 まだフエにつかない。中部高原はまだまだ遠い。バス旅はつづくのだ。






最終更新日  2005年06月04日 04時03分49秒
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2005年06月01日
カテゴリ:ベトナム旅雑記
 ハノイからザライ省の省都プレイクまでバスで行くことにしました。そのバスについてすこし説明をします。

 ベトナムの長距離バスは、おおまかに二種に分けることできます。ひとつはローカルバス。各町のバスターミナルから発着し、あとはヒッチハイクの要領で、乗りたいところで乗り、降りたいところで降りるバスです。もうひとつは外国人旅行者が主に乗るバスです。ハノイ-ホーチミン間を主要路線にし、主だった都市で乗り降りできます。

 おもしろいのはなんといってもローカルバスです。時刻表は無きに等しく、十分な乗客が集まれば出発します。座席はもちろん通路にも人がごったがえし、もうこれ以上入らんだろうすし詰め状態のところに、さらに売り子が何人も乗り込んできてあらゆる商品を売り歩きます。それにまたみんな荷物がやたらと多い。座席の下はもちろん、バスの上にも大量の荷物が積み込まれる。自転車やバイクも天井に積まれる。冷房はもちろん効いていない。

 外国人用バスはこのような混沌とは無縁で、座席数以上に人が乗ることもない。日本の高速バスをそのままイメージして遠からずといったところ。ほぼ定時運行ですし、快適さでもローカルバスに数段勝る。でも、つまらない。

 私よりもベトナム文化に精通し、ベトナム語に堪能で、ベトナム各地に足を運んだ日本人はごまんといます。ですがそんな私でもこれなら負けないのでは、と密かに自負していることがいくつかあります。そのうちのひとつがローカルバスです。私ほどローカルバスに乗った日本人はそうはいまい、そう根拠もなく自負しています。この中部高原を訪れる旅日記では、ローカルバスを紹介することが肝になります。当初はザライ族のお墓の彫刻をこの目で見たい、という動機で出立したわけですが、結末をばらしてしまうと、この目的は果たされず、結果的にはいたって尻すぼみなエピローグとなってしまうのです。私の情熱が冷めたのが原因ではなく、不可抗力な要因がいくつか重なったためなのですが。

 前ふりがやたらと長くなってます。いつ出発するんだ。もうじきです。でも今回はまだ出発しません。次回です、たぶん・・・。つづく。






最終更新日  2005年06月01日 21時45分56秒
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2005年05月30日
カテゴリ:ベトナム旅雑記
 ハノイの美術館には、とことん失望させられました。ろくなものがないのです。美術の心得も素養もない私が評価するのは傲慢かもしれませんが、素人目からみても駄作ばかり、それが正直な感想でした。

 入場料を払ったことを後悔しながら別館の二階をたいした期待もせずみて歩いていたとき、一点の彫刻が眼に入りました。木彫りの鳥の彫刻で、荒々しいながらも気品があるように感じられました。「何者だ、こいつを彫ったのは?」そう思いながら説明を読んで見ると、中部高原に住むザライ族がお墓のまわりに立てる彫刻であると記してありました。

 ザライ族?そういえばハノイに住むベトナム人に、「おまえはザライ族に似ている」といわれたことがあったっけ。すばらしい彫刻の伝統があり、私に似ているというザライ族、うーん一方的な親近感と興味がわいてきました。中部高原に行きたい、いや行かねば。そう短絡的に思い立ち、私はテト休みを利用して中部高原へと出立しました。どうなることやら。 つづく







最終更新日  2005年06月01日 21時38分19秒
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2005年05月15日
カテゴリ:ベトナム旅雑記
 一泊二日のトレッキング・ツアーに申し込む。値段は15ドルとちょっと高い。外国人しか参加しないのも当然か。同行者はハノイから道連れの日本人二人、そしてサパ在住ガイドのクイ君。クイは二十歳のキン族で、日本人二人は元同級生Aと会社からハノイに派遣された語学研修生Kさん。

 町を出て、沢沿いに下る。沢を挟む丘陵の斜面には、棚田が重なりトウモロコシの焼畑がひろがる。小学校に寄ったり、フモン族の家でお茶によばれたりしたあと、川原で昼食をとる。フモン族の男の子二人が渓流を石で堰きとめて遊んでいる。二人とも小学校低学年ぐらいのとしごろか。ぼくらはそれを眺めながら、なんにせよ子どもが遊んでいられるってのはいいね、などとのんきな会話を交わしていた。しかし彼らはただ遊んでいるわけではないことがじきに判明する。

 川を堰きとめ、本流のわきに細い支流をこさえ、しばらく水が流れるままにしておいてから、支流を塞ぎ、上流と下流二手に分かれて支流に迷いこんだ小さな魚やオタマジャクシやヤゴなどを追いつめて手づかみでビニール袋に入れていく。晩飯のおかずをとっていたのだ。上流の男の子が岩の下に手を入れたかと思うと、すばやく手を抜いた。そして河原に落ちていた棒切れをつかみ、岩の下から気味の悪いぶよぶよしたかたまりをかき出し、棒に絡めて水から引き上げ、岩に叩きつけた。そして何度も何度も棒切れで叩く。近寄って見てみると、それは蛭だった。すでに打ちのめされて赤い血を垂れ流している。「血を吸われたのか」とぼくが訊くが、男の子は首を振り、「水牛の血」、とそっけなくベトナム語で言った。

 ガイドのクイが棒切れで蛭を突ついて遊んでいる。そしてぼくのほうを向き、「きょうの晩飯のおかずは蛭だよ、イワーイ」、うれしそうに言う。「てめえが食え」という言葉を飲みこんで、ぼくがやりかえす。「忘れずにもっていけよ、クイ。米焼酎に浸けるんだ。蛭酒だよ。きっとキクぜ」。ベトナム人はなんでも酒に浸ける。熊を丸ごと一頭酒を満たした水槽にぶち込んだり、そしてカラスやトカゲやうす気味悪い虫なんかを手当たりしだいなんでもぶち込んで、そしてどの酒も決まって「キクぜ」で形容されてしまうのだ。ひょっとして蛭酒なんてすでに定番になっているのかもしれない、そう思い至り、自分で言ってゾッとする。不安気にクイの顔色をうかがうと、クイは名案といった感じに肯き、「そりゃキクだろうな、血もあるし」、そう言って笑った。冗談でよかった、ぼくは胸をなでおろす。

 夕方には今夜泊めてもらう家に着いた。ザイ(Giay)族の家だ。高床ではなく平土間のつくりだった。タイー(Tay)・ターイ(Thai)系の彼らは高床の家に住むことが多いのだが、地域によっては平土間の場合もあるらしい(1)。ザイ族の家族とはほとんど話す機会がなかった。遠慮してかぼくらとは別の間にいつもいるし、ぼくらも無理に近づこうとはしなかった。食事はまったくそのままキン族風。キン族がオーガナイズしているツアーだ、きっと少数民族の食事なんか外国人の口に合うはずもないと決めつけているんだろう。ぼくらはがっかりしながら、ハノイで食べ飽きている春巻をつつき、持参のフモン族特製のリンゴ酒をあおる。すこし甘すぎるが、まあいける。ぼくらは酔いつつも、けっこう真剣な会話を交わした。少数民族が多数を占める「僻地」の観光地化について、観光客であるぼくらのあるべき姿勢について。

 少数民族が自身や自身の生活を観光名物化することによって、現金収入を増やし、そして豊かになるという。それは確かに一面真実だろう。けれどサパに限っては、その現金収入は微々たるもんだ。例えばぼくらはこの一泊二日のトレッキング・ツアーに一人15ドル払った。三人で45ドルだ。そのうち少数民族に流れる金額はいくらもない。ツアー会社から支払われるだろう一泊の宿泊代金だけだ。多く見積もったとして一人1ドルで3ドル。それだけだ。3ドルだって彼らにとっては決して小銭ではないが、あまりに取り分が少ない。残りはすべてキン族の懐に収まるようになっている。サパ近辺の少数民族は、彼らで話し合い、現金収入の途として観光化を自ら決断したわけではなく、外国人とキン族によって観光化されたのだ。そして金になるおいしいところを独占されたまま、細々と土産物などを売り歩いている。堂々とサパの町中で土産物店を開いているのはすべてキン族だ。観光化して現金収入をふやすにしろ、しないにしろ、それは当事者であるそれぞれの地域の少数民族の意見がもっと反映され、そして観光化を具体化するときに彼らがもっと主導的になるべきなのではないか。

 ぼくらはそんな話をする。そして話しつづける。キン族をワルモノに仕立ててそれで終わる話なのだろうか。ぼくらはいったい何様なんだ。観光化による恩恵のおこぼれすらあずかっていない多数の村人たちの眼に、ぼくらのような闖入客はどのように映っているのだろうか。ぼくらは、「何しにきた、さっさと出て行け」とつっけんどんにあしらわれても、返す言葉なんて何もないんじゃないのか。でも道すがらに出会った人々は、なぜ大人も子どもも、土産物を売りつけるわけでもないのに、こんなにもにこやかにやさしく迎えてくれるのか。ぼくたちは彼らの心の寛(ひろ)さに感謝するだけでいいのか・・・。

 翌日は別の道を通って、サパへと帰る。Aは川の飛び石をつたうときに足を滑らせ半身ずぶぬれになる。Kさんとクイは田んぼにはまり泥だらけに。運動神経が抜群で、長野の山小屋で二年働き山道に慣れているぼくは、他人の不幸を尻目に軽口をたたきながら、軽快に歩を進める。そして、みじめな連中のウラミをすこし買う。

 サパに着いたときはさすがの健脚のぼくも疲れた。AやKさんは膝がわらっている。冷えたビールがうまい。鹿鍋も猪のステーキもうまい。誰だ、サパにうまいものなんてないと言ったやつは。宿に戻り、ベッドのジャンケンをする。三人いても、ベッドは二つしかないのだ。サパの初夜ではぼくが勝ち、AとKさんがベッドを共有したので、今回ぼくはジャンケン辞退を謙虚に申し出る。二人はビールが入って気が大きくなっているのか、辞退する必要はないと言う。お言葉に甘えてジャンケンすると、またぼくが勝った。「ヨッシャ!」、小さくガッツポーズを決めると、「ヨッシャじゃねえ!!」、二人が怒りをあらわに。だからぼくは最初に辞退したじゃないか。二人はぼくのまっとうな抗弁を無視して、勝者を罵る。ぼくはまた、みじめな連中のウラミをすこし買う。(終わり)






最終更新日  2005年05月16日 22時25分19秒
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カテゴリ:ベトナム旅雑記
 ベトナム北部山岳地帯のサパという小さな山間の町は、避暑地として、または種々の少数民族の村を訪れるトレッキング・ツアーの拠点として有名だ。キン族(狭義のベトナム人)観光客はおもに前者の目的で、外国人観光客はおもに後者の目的でこの町にやってくる。キン族はみやげもの屋をひやかしたり、少数民族が民族音楽にあわせて踊るのを観賞するのがせいぜいで、トレッキング・ツアーに参加することはほとんどない。彼らにとって歩くことに金をかけるなんてことは馬鹿げた発想であり、歩くのは貧乏人に任せておけばいいのだ。「サパに行くんだけど、サパでは何がおいしいのかな」。ハノイでキン族の友人たちに訊いてみたが、「何もない、すべてまずい」、誰もが侮蔑をかくそうともせずそう言いきった。

 ハノイ市の片すみに数年前に建てられた民族学博物館は、ベトナムにある他のどの博物館、美術館、記念館よりも充実し洗練されているが、訪れるのは少数の外国人だけで、閑古鳥が鳴いている。既存の高速道路から民族学博物館まで引かれたこれまた新しいアスファルト舗装道路は、走る車もないというのに四車線はあろうかという堂々たるしろもので、子どもたちの格好のサッカー場と化している。

「あんなもんつくって何になんねやろ、少数民族の暮らしがちょっとでも良うなるゆうんかい」

  大学院で人類学を学び、ハノイをフィールドに研究をしている日本人Uさんがそう言っていた。ぼくはなかなか興味深くこの博物館を見学したし、その中身の充実ぶりにも感心したけれど、Uさんの言うことも一理ある。少数民族にとっての民族学博物館は、動物にとっての動物園と大差ないのかもしれない。そういう言い方は語弊があるかもしれないが、金を使う優先順位が本末転倒しているという意味では、Uさんの言うことは確かにそのとおりだと思う。

 サパの市場でフォー(うどんみたいなもの)を一杯ひっかけた。五分もあれば撤収できそうな、屋台に毛が生えた、もしくは屋台の毛が抜けたような店が、いくつか軒を連ねて市場の一角を占めている。ぼくが座ったフォー屋のおばさんは、ぼくが日本人であることを一目で見抜いた。慧眼なり。多くを語らない限り(ぼくのベトナム語の発音はひどい、もちろん文法も)、外国人と露見することは滅多になかったのだけれど。人によっては、ぼくが自分で日本人だと白状しても、「おまえの両親も日本人か」と疑り深く目を光らせたり、「おまえは断じて日本人じゃない、いや、キン族でもないな、中部高原のザライ族だ」とか、「おまえは中部の海辺に住みついている漁師だ」なんて言ってくれる人までいるくらいだ。そこまで限定するかと半ばあきれ、その揺るぎない確信はどこから湧いてくるのかと半ば感心したものだ。

 とにかくぼくはフォーを食べていた。他のテーブルには民族衣装を着たフモン族の男も数人いた。そこへ欧米人の白人カップルがやってきた。彼らは二人とも、首から立派なカメラをさげていた。彼らはフモン族の男たちに挨拶し、写真を撮ってもいいかとジェスチャーで示してから、パチパチと撮りだした。そしてしらじらしいフレンドリーな笑顔をはりつけ、肩を組んで一緒に写真におさまったりしている。フモン族の男たちは困ったようなひかえめな微笑を浮かべている。温厚な人たちだ。普通、食事中にこんなことをされれば腹も立つというのに。ぼくはその欧米人カップルの無神経さを苦々しく思いながら、鳥取砂丘での出来事を思い出していた。

 数年前、鳥取の友人宅に遊びに行ったとき、その友人に誘われるままキャンプに参加した。友人は外国人の知り合いが多いやつで、キャンプに参加したのは、ぼくと友人を除くと全員外国人だった。中学や高校、または英会話学校なんかで英語教師をやっている人たちが企画した、サイクリング&ビーチキャンプだった。自転車でキャンプをする海岸に向う途中、休憩を兼ねて砂丘に寄った。そこでぶらぶらしていると、日本人の若い女性数人が近づいてきて、一緒に写真を撮りたいと言いだした。そのときぼくはカナダ人カップル二人と一緒にいたのだけれど、ぼくはお呼びでなくて、カナダ人二人がお呼びであった。挨拶も何もなしにいきなり一緒に写真をとは、なんて非常識な女なんだと思ったが、カナダ人二人は苦々しいスマイルを浮かべながらもちゃんと一緒に写ってやった。もちろんシャッターを切ったのはぼくだ。彼女たちが遠ざかったあと、カナダ人の男が例の写真女たちを称して、
「ティピカル・ジャパニーズ(典型的な日本人だな)」と皮肉っぽく口もとを歪めて言った。返す言葉もない。そして、「あの女たちは俺たちのことをマスコットか何かだと思ってるんだろう」、そう言葉を継いだ。

 そのときはマスコットとはうまいこというなと感心して笑っていたが、サパの食堂で欧米人カップルのしらじらしいフレンドリーなスマイルを見ていると、彼らにとってフモン族の男たちはマスコットなんだろうな、そう思えてしょうがなかった。彼らにとって大事なのは、フモン族の男たちとの一期一会ではなく、帰国して友人に見せる写真なのだ。 つづく
 






最終更新日  2005年05月16日 22時23分25秒
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2005年05月12日
カテゴリ:ベトナム旅雑記
 列車は早朝ハノイに着く。ハノイ駅からホアンキエム湖まで歩く。宿が開きはじめるまでまだ時間があるので、湖の畔で座って待つ。この湖はハノイ市民憩いの場所であり、ハノイのシンボルでもある。ベトナム人は早起きの人が多く、早朝に健康のための運動をする人も多い。バトミントン、怪しげなエアロビクス、怪しげな太極拳もどき、見たこともない怪しげな体操、などなどをしている。日本人の感覚からすると、怪しい動きにあふれている。この早朝というのが、なかなかたのしめる時間帯なのだ。ベトナムに旅行したなら、一度早起きしてみてください。

 旧市街のほうにぼちぼち歩き出し、ひさとみが今晩泊まる宿を見つける。ぼくは夕方のフライトで帰国するので、今晩は機中泊。ハノイは以前ぼくが住んでいた懐かしの都。もっとゆっくりしたかったが、時間がないのでしょうがない。荷物を部屋に置いて、朝飯を食べに行く。

 ハンザー市場近くのうなぎが売りの店に入る。うなぎ春雨、うなぎ粥、うなぎスープなどのメニューがある。ぼくらはお粥をたのんだ。揚げパンをちぎって入れる。滋養もありお腹にも優しい完璧な朝食だ。もちろんおいしくて、料金は50円ほど。

 食後ハンザー市場をひやかす。ぼくはハノイの市場ではこのハンザーが一等気に入ってる。ミーハーな外国人の異国趣味と、現地の生活に触れてみたいというわがままな欲求両方に過不足なく応えてくれる市場だ。ここより大きな市場は他にもあるが、ハンザーが一番だと思う。

 まずは定番の陶器屋でみやげ物を物色する。品揃えも多く、安い。しかも売り子のお姉さんの胸元が拝めたりする。梱包したりするとき、地べたにしゃがんでするからね。

 次は乾物屋へ。友人に干したタツノオトシゴを頼まれているのだ。オス・メス一対で500円ほどする。タツノオトシゴは高い。これを焼酎に漬けて飲むと、精がつくと言われている。友人はこの「タツノオトシゴ&酒→精力絶倫」説を信奉しているのだ。あとかわはぎに似た乾物も買う。ベトナム語でカーボー(牛魚)と呼ばれる魚のもの。これもおいしい。後日日本在住のベトナム人に訊いたところ、河豚に形状の似た魚らしい。でも毒はない。

 市場にはもちろん屋台もある。チェーを食べながら一息入れる。食べながら昼飯の算段。食べたいものはいっぱいある、行きたい店もいっぱいある。しかしぼくに残されているのはあと一食のみ。強行日程や哀し。悩んだ末に、ここは奇をてらわず定番ブンチャー(漬け麺)に決める。動くのが面倒なので、市場近くの店に移動。炭火焼の香ばしい肉を適度に甘みのあるタレに香草などといっしょに入れる。そこにブン(米から作った細麺)を漬けて食べる。日本人なら誰もがうまいと言う味でしょう、これは。揚げ春巻きをトッピングに付けるのもまた好し。

 腹は満ちた。次は疲れたからだを癒すべく、サウナ&マッサージに行くか。これもハンザー市場近くの中級ホテル付属のところがあるので、歩いていく。ハンザー市場付近は本当に便利だ。このロケーションもポイントが高い。

 サウナ&マッサージは一時間で500円弱。外国人料金を取るところも多く、もっと高いところもある。ベトナムのマッサージは露出の多いお姉さんもしくはおばさんがやってくれるちょっと怪しげなところがほとんど。通常女性が来るところではないのだが、ひさとみも付いてきた。

 まずはサウナ。シャワールームの奥に付属している、狭い本当に狭い空間がサウナルーム。腰掛に座り、バルブをひねるとグゴーというすさまじい音をたてながら、下方より湯気が噴き出してくる。このサウナを「ガス室」と言ったのは、確か『行けベトナム街道』の著者池部さんだったと思う。不謹慎だが言いえて妙。あまりのすさまじい水蒸気に閉めるバルブの位置が見えなくなり、必死に探して死にかけたことあり(火傷はした)。閉めずともサウナから出ちまえばよかったんだけど。

 シャワーで汗を流したあとにマッサージ。ベトナムのマッサージはタイ式。ときに痛いが悪くない。それにお姉さんと触れ合えるし。最後のほうに調子に乗って胸をもませてもらってたら、先に終えてかえりがけのひさとみにドアの窓越しに見られた。ちょっとバツが悪かった。お姉さんにチップを渡してぼくも部屋を出る。

 そろそろ空港へ向かわねば。さよならハノイ。今回は時間がなくてお世話になった知り合いの方々には会えなかった。マッサージ行く時間はあったのかと、つっこまれそうだが。また来る、必ず来るから。(おわり) 

              ↓あやしい体操@ホアンキエム湖






最終更新日  2005年05月16日 22時33分39秒
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