ベトナム見聞録

ベトナム見聞録

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ベトナム生活雑記

2005年08月04日
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カテゴリ:ベトナム生活雑記
まずぼくの知り合いの失敗談から

ベトナムで事務所をかまえ働いていたIさん(日本人男性)は、信頼できるベトナム人女性と出会い、いろいろとお世話になっていた。男と女といっても、70才のおじいさんと日本語を学ぶ大学生の娘なので色恋沙汰ではない。

Iさんは日頃お世話になっているお礼をしたくて、その娘さんを日本食レストランに招待したり、有名ホテルのラウンジで甘いものをごちそうしたりしていた。

日本語を勉強している学生に日本食を食べさせてあげたい、高級な店で(Iさんにとっては格別高い料金ではないけど)おししいものをごちそうしたい、そういった善意からの招待だった。

でもその善意は相手をよろこばすどころか、かえって相手に重荷を与えただけにすぎないことにやがてIさんは気付く。その大学生がベトナム人にはめずらしくIさんに本音を語ったからだ。

前にも日記でちらと書いたが、ベトナムに割り勘はほとんど存在しない。Iさんが招待しておごったことには何も問題はないのだが、問題はその代金が通常のベトナム人の感覚では高すぎたことだった。ベトナムではおごってもおごられても礼を言ったり恩着せがましいことも言わないが、常々そのお返しをする機会を考えている。返せもしないような高額な食事をごちそうになったりすると、善良な人ならよろこびよりも困惑のほうが大きくなる。このお礼をどのようにして返せばいいのかと。

ベトナムにも金持ちはたくさんいる。そういった人との付き合いなら別に気にすることはないだろうが、一般的な暮らしをしている普通の人々と付き合うなら、彼らがいつか次の機会に無理なくお返しができる程度の店を選ぶべきだ。そしてそのほうが絶対によろこばれる。高級な店では押し黙っているかもしれないが、庶民の店では「なんじゃこのチェーは。あたしゃもっとおいしい店を知ってるぞい。今度つれていっちゃる」とか、「日本人のくせにええ店しっとるやんけ。いけるやんかこのフォーは」などと会話もはずむでしょう。

とある金持ちの外国人に自分の給料1ヶ月分ぐらいの食事をおごってもらって、たのしい時間をすごせるか?ぼくは過ごせない。プライドが傷つけられるだけだ。

Iさんはぼくもよく食事に連れて行ってくれた。もちろん他のベトナム人もいっしょに。けどもう高級店には行かない。どこにでもあって安い、けどおいしい店に連れて行ってくれた。ぼくはそんなIさんが好きでい。






最終更新日  2005年08月04日 22時47分54秒
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2005年07月22日
カテゴリ:ベトナム生活雑記
 ベトナム語で「オム」とは「抱く、抱きしめる」という意味です。バイクタクシーはセーオムといいます。バイクの後ろに乗ると運転手をオムするのでセー(車)オム(抱く)というわけです。

 お触り可の飲み屋はビアオム。これは説明不要でしょう。

 オムの用語説明はこれぐらいにしといて本題に入ります。ぼくはハノイでこう思いました。好きな人をぎゅっとオムするときほど、人生で貴重な瞬間はないのではないかと。

 これは真理だ、揺るがぬ真理だ、そう思ったぼくは、身近な人たちにこの真理を伝えました。そしてその中のばかな数人は信徒となりました。こうしてできたのが「オム真理教」です。
 
 現在信徒4名です。門戸はいつでも広く開けております。みなさん、いかがですか?
 






最終更新日  2005年07月22日 23時07分14秒
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2005年07月03日
カテゴリ:ベトナム生活雑記
「あんたかっこいいね、映画スターみたいや」

こんなセリフを言われたことがあるか?

世の中ハンサム・ボーイは多しといえども、ここまで言われたことのある人は、あまりいないだろう。そんじょそこらのハンサム・ボーイでは、まあ聞かずに終える人生だ。世の中そんなに甘くないのだ。

だが私は言われたことがある。
ベトナム中部の街、クイニョンの屋台で。

夜もふけてうすぐらい屋台。ホビロン(北部風に言えばチュンビッロン)を食べさせてくれる屋台だった。ホビロンとは、あの有名な孵化しかけのアヒルの卵を茹でたやつ。ビールのつまみに最高なのだ。隣には酔っ払いのじいさん。私が外国人だと知り、ろれつのまわらない英語で話しかけえてくる。当時(約10年前)私はまだ挨拶程度のベトナム語しか知らなかったのだ。私も面倒だが無視するわけにもいかぬので、英語で答える。じいさん、周りの人たちに自分が英語を話せることを示せて得意そう。私並にへたくそな英語だったが。そしてじいさんは言う、冒頭のセリフを。

「ユ アー ベリベリ ハンサム ライカ ムービー スター!」

一生に一度聞けるか聞けないかのセリフなのだろうが、とくにうれしくはなかった。へべれけじいさんに暗い暗い屋台で言われても・・・。

賭けてもいい、じいさん、見えてないでしょう?






最終更新日  2005年07月17日 10時39分39秒
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2005年07月02日
カテゴリ:ベトナム生活雑記
数年前のハノイで、日本語を勉強するベトナム人学生とベトナム語を勉強する日本人学生の交流会が催された。場所は東京大学のベトナム研究拠点、正式名称は忘れた。私も人数あわせのために半ば無理やり参加させられた。

参加者は双方10名づつほど。女性が7割ほどを占めていた。ベトナムの男子学生にはかのヴォー・グエン・ザップ氏の孫がいてびっくりした。独立闘争の英雄ヴォー・グエン・ザップの孫が日本語を勉強しているとは・・・。

ベトナムの学生はみな日本語が非常に上手だった。日本人学生のベトナム語よりもうまい。自然、場の会話は日本語が多くなる。情けなや、我々日本人学生・・・。

議題、というかただの雑談の話題は男女関係へとうつろう。ベトナムでのデートは必ず男がすべて金を出すね、そうね、日本では男が出す金額のほうが多いと思うが、女が出すこともあるね、そうなの?、そうよ、といった他愛もないことをうだうだ語り合う。正直、退屈な私・・・。

半分聞き流していると、話題はいつのまにか日本人女性によるベトナム男性礼賛となっている。ベトナム男性はすごく優しい、親切、マメ、誠実・・・越南男児、まんざらでもない顔。越南女子、社交辞令でも日本男児を褒める気配なし。数少ない日本男児、反論する度胸もないのか従順に耳を傾けている。何やっとんねん、お前らは!反論せい、反論せんか!!日本男児に立ち上がる気力なし。これやから有名大学のエリートどもは使えん。しょうがない、俺が代弁してやろう、越南男児、越南女子、そして日本女子どもよく聞け、俺の日本語とベトナム語ちゃんぽんの熱弁を!

「ベトナムの男性は確かにやさしい。細やかな心配りもできる。でもそれは結婚する前までだ。あくまで結婚する前までだ。結婚後の越南男児を見よ。働かない、家事もしない、おまけに妻を殴る蹴るの狼藉三昧。もちろんすべての人がそうではない。結婚後もやさしく、一生懸命働く夫もいる。だが、そうでない人がたくさんいるのも事実だ。しかもプライドだけは高い。職がないとかいうのは言い訳だ。選ばなければ職はいくらでもある。でも、肉体労働をするぐらいなら、妻を働かせてぶらぶらしてるほうがマシというわけだ。こんな男性がやさしいか?」

しーん・・・・・・。

場は静寂、まことに静寂。ちょっと言い過ぎたか?

越南男児、うつむく。越南女子からも反論なし。日本女子、ちょっと敵意のまじった眼で私をねめつける。日本男児、心の中で拍手(たぶん)。しかし表向きは場に合わせて白けた振り。卑怯者め!

私の発言は感情的になったこともあり、誇張されている。ベトナム人男性、そんな悪人ではない。けど、半分図星でもある。だから越南男児も女子も反論できなかったのだ。

実際、働かない男は驚くほど多い。一家の家計は女性が支えているというケースは、全然稀ではない。ベトナムに専業主婦はほとんどいない。共働きか妻のみ職を持っているかのどちらかだ。

日本では働かない男はクズ扱いされ、非常に風当たりが強い。でもベトナムでは働かなくても別にどうってことない。非難もされない。そしてベトナム女性は本当に働き者なのだ。

いいなあ、越南男児・・・。






最終更新日  2005年07月02日 22時08分39秒
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2005年06月26日
カテゴリ:ベトナム生活雑記
「英語に標準語はない」

何かの本でそう読んだことがあります。その根拠として、以下のような説明がなされていたと記憶しています。

アメリカ、イギリス、シンガポール、ナイジェリア、オーストラリア・・・。それぞれの国で話されている英語はそれぞれの特徴があり、どれが正しくてどれが標準と決めることはできない。さらに世界の多くの人々が己の母語が通じない相手とコミニケーションする手段として、英語を用いている。日本人と中国人、タイ人とイタリア人が英語で会話をする。日本語でもなく中国語でもなく。そのような「世界言語」であるため、標準がどうのこうのというより、通じ合えばそれでよし。英語とはそういう言語なのだ、と。

日本人は英語の発音が下手だと言われています。おそらく多くの日本人がそう自己採点していると思います。私もその一人です。実際、私の英語は文法も発音もデタラメ。でもたいていの場合、それでも通じました。デタラメ過ぎて通じなかったこともありますが、多少のデタラメだったら大丈夫。英語は「ぶれ」に強く、許容範囲の広い言語なのです。上記の本の影響もあり、デタラメだって別にかまへん、通じりゃええねん、そう曲解して開き直っていた私ですが、ベトナムでさっぱり理解できない英語に出くわしてしまいました。

ベトナムでも普段から外国人と英語で会話する機会の多い人は、理解可能な英語を話します。ここで問題にするのはそのような実践経験はほとんどないが、英語の勉強はしているというベトナム人です。

私はハノイで英語の家庭教師をしているという男子大学生に会い、彼は何事か早口で話しかけてきました。私はまったく理解できないばかりか、何語を話しているのかさえ分かりませんでした。いままで相手の英語が理解できなかった経験は自慢じゃないが山ほどあります。英語のニュースを聞いてもチンプンカンプン、その程度のレベルなので。でも解らないなりにも英語が話されていることぐらいは理解できました。

「何語で話してんの?」
「えっ!?英語やけど・・・」

ベトナム語の会話で彼が英語を話していたことが判明しました。気を取り直して耳を傾けてみると、確かに英語だった。でもほとんど解らない・・・。

何度か同じような経験をし、「なぜ一部のベトナム人の英語が理解できないか」という疑問に、私は自分の英語力の未熟さを棚上げして、私なりの回答を出しました。

結論から言うと、ベトナム人の英語と日本人の英語は非常に相性が悪い、最悪のマッチングだということです。そしてその相性の悪さが如実に現れるのが末子音です。例えば「mac」、「mat」、「map」、「mach」。アメリカ人なら「マッ(ク)」、「マッ(ト)」、「マッ(プ)」、「マッ(チ)」と、()内は微かに発音するのだと思います。日本人なら「マック」、「マット」、「マップ」、「マッチ」でしょう。ではベトナム人ならどうか。

ベトナム人なら「マッ」、「マッ」、「マッ」、「マッ」です。正確に言えばそれぞれ微妙に違う「マッ」なのですが、日本人の耳には同じ「マッ」に聞こえます。ベトナム語では末子音は発音しないので(発音しなくても口や舌はc、t、p、chの位置に動かす)、英語にもそのルールを適用してしまう傾向があります。逆に日本人は末子音の発音を強調し過ぎてしまう。日本語にはn以外の末子音で終わる単語がないからです。

「パッポー、パッポー」
ホテルのレセプションでそう言われて、理解できる日本人がどれほどいるでしょうか。私は何度も聞き返してやっと理解できました。彼が「パスポート」と言っていることを。

「アイックリ、アイックリ」
これは「アイスクリーム」のことでした。

多少デタラメの英語でもかまわない、通じればいいのさ、私はいまでもそう思っています。でも逆方向にずれたデタラメ英語同士だと、お互い通じない。許容範囲の広い英語といえども、やはり範囲はあるのです。

おそらく通常の観光でベトナムを旅行する場合は、外国人との会話に慣れない「純粋越式英語」にはあまり遭遇しないと思います。ですが、もし幸運にも遭遇することがあったら、想像力を駆使して相手の英語の末子音を補い、自分の英語はわざと末子音を落として話してみたりという「高等テクニック」をたのしんでみてください。もしくは「純粋日式英語」で相手も面食らわせてやりますか。







最終更新日  2005年06月26日 11時14分37秒
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2005年06月15日
カテゴリ:ベトナム生活雑記
昨年の晩秋ベトナムに行ったとき、本を一冊買ってきました。生活のちょっとした知恵が満載されている、「おばあちゃんの知恵袋ベトナム版」といった感じの本です。ぱらぱらめくりながらかいつまんで読んでいるとなかなかおもしろい。市場で良い鶏やアヒルを選ぶ知恵、という欄もあり、自身の経験を思い出しながら読みました。

ベトナムの市場では、鶏やアヒルが生きたまま売られてるのがあたりまえの光景です。市場で買ってぶらさげて帰り、家で絞めて食べる。私も一度鶏を二羽買ってきて、ベトナムの友人に手伝ってもらいながら絞め、鶏パーティーを催したことがありました。首を切られた鶏が、死ぬ直前にものすごい力で抗う感触がいまも手に残っています。この「最後の抗い」のことをベトナム語で“vay chet”と言うんだよ、友人がそう教えてくれました。

鶏を食したあとに皆でモノポリーをやったのですが、破産寸前のくせに最後の悪あがきをみせる往生際の悪いベトナム人に「“vay chet”しやがって」とつっこんでやりました。

本の話に戻りますが、市場で良い鶏やアヒルを選ぶ際の知恵としてこのようなことが書かれていました。

鶏やアヒルを売買する際に、目方が料金の目安になります。やはり肥えて重量のあるものに高い値が付くので、売り手は市場に持っていく前に餌を口に押し込んで無理やり大量に食べさせる。それぐらいならまだ許せますが、たちの悪い奴だと翼の付け根の内側、脇のあたりに注射で水を注入するのだそうです。だから購入する前に、翼をひろげて脇の辺りに注射痕がないかどうかチェックすべし、と「知恵袋」に書かれていました。

絞めて毛をむしり、内臓を出して解体し、それから料理をする。それだけでも大変なのに、市場で選ぶのも一筋縄ではいかないようです。奥が深いなあ。いつかまたベトナムで生活する機会に恵まれたら、再度挑戦してみたいと思います。失敗するかもしれませんが、今度は友人の手は借りず、自分一人でやってみたいです。






最終更新日  2005年06月15日 22時42分32秒
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2005年06月12日
カテゴリ:ベトナム生活雑記
ベトナムでよく訊かれたこと。

「家族が恋しいか?」

ベトナムでの生活はたのしかったし、とくにホームシックにはかかっていなかったので、当初は正直に「いや、別に」と答えていた。すると相手は決まってちょっとびっくりした表情を浮かべる。そんな奇抜な回答だったかしらん、とその度にぼくはかるい違和感を感じていたのだが、ベトナムでの暮らしが長くなるにつれ、おぼろげながらそのギャップの原因が解ってきた。

ベトナムでは、家族と遠く離れて暮らすことは寂しいことであり、そのような状況下で家族を恋しく思わない人はいるはずがない、という共通認識が、異議を挟む余地もなく確固として形成されている。ベトナム人は家族をとても大切にする。そして家族のことを大切にしていないと受け取られかねない発言は、まさしく「異端宣言」なのだ。「家族が恋しいか?」という問いの答えはイエス以外にあり得ず、問うた側も当然その答えを期待しているので、ノーで返されると意表を突かれてびっくりしてしまう。

「先日はどうも」
「どうもって、何が?」

こんな「どうも返し」をされたら、日本人だってびっくりする。

「家族が恋しいか?」は質問ではなく、一種のあいさつで、答えはすでに決まっているのだ。しかもただの社交辞令ではなく、相手の寂しさを慮ってはげましてあげたい、という気持ちのこもったあいさつであることも解ってきた。そのような思いやりに対して、ノーとは言えない。そのことに気付いてから、ぼくはイエスと答えるようになった。

単身で来日しているベトナム人に会ったら、みなさんもぜひあいさつしてみてください。






最終更新日  2005年06月13日 00時15分50秒
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2005年05月28日
カテゴリ:ベトナム生活雑記
 日本人の友人とハノイにある日本料理屋に行ったとき、カルチャーショックを受けました。

 「冷奴ください」
 「すいません、豆腐をちょっと切らしてしまいまして、申し訳ないです」

 平身低頭そういわれました。日本でなら当たり前のことなのですが、久しぶりに日本文化に触れた私は、不覚にもびっくりしてしまいました。

 ベトナムで注文した品が切れていたときには、「het roi(なくなった)」と素っ気なく言われるのが常です。その素っ気なさにすっかり慣れていたものですから、懇切丁寧な日本式の弁明が、かるいカルチャーショックだったわけです。

 日本式が優れているですとか、ベトナム式が合理的だなどと、優劣を付けるつもりは毛頭ありません。それぞれ個性的でいいじゃないですか、そう思います。

 しばらく東京で暮らしたのち、数年前に生まれ故郷の大阪に帰ってきたときも、カルチャーショックを受けました。場所は御堂筋線の西中島南方駅近くのとある回転寿司屋でした。そこでは、我が眼を疑うネタがぐるぐる回っていました。

 軍艦巻きの上にたこ焼き・・・

 個性的でいいじゃないですか、とは、思えませんでした。寿司とたこ焼きは別々に食べようよ。






最終更新日  2005年05月28日 00時47分58秒
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2005年05月27日
カテゴリ:ベトナム生活雑記
 ベトナムで酒を飲むとなると、それはすなわち一気飲みを意味します。焼酎ならチェンと呼ばれるお猪口で、ビールなら当然グラスで、杯を何度も合わせてはそのたびに一気飲みです。この一気飲みを「100%」と言います。100%と言われて杯を合わせると、必ず飲み干さねばなりません。これが何度も繰り返されます。ベトナムでは自分のペースでしみじみ飲む、なんてクールな態度はゆるされません。

 あまり飲めない人は、うまく断る術を身に付けねば身がもたないでしょう。「いやあ、もう飲めません」といっても聞き分けよく引き下がってくれる人はほとんどいませんから。でも私にいい知恵があるわけではありません。酒好きなので断ることはなかったもので・・・役立たずですみません。

 ですが、断る人を断れなくする必殺(?)の台詞はきっちり習得してきました。

 Nam vo tuu nhu ky vo phong. 

 日本語に直訳すると、「酒を飲まない男は、風のない旗のようだ」、です。

 だらしなく垂れ下がった旗のようだぜ、酒を飲まない男は。酒を飲んで男らしくはためけ。そういうキツイお言葉です。そこまで言われるとなかなか断り切れるものではありません。

 「わたし女やから・・・」
 
 これ以外にやりかえすうまい台詞が何かないものでしょうか。
 






最終更新日  2005年05月27日 23時05分33秒
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2005年05月23日
カテゴリ:ベトナム生活雑記
 バナナネタ、続きます。

 ベトナムのハノイに住んでいたころ、胸のあたりに小さなできものがたくさんできました。痒いうえに掻きすぎると痛くもなる。不快指数が我慢ならないほど高まり、ベトナム人の友人に相談してみたのですが、その友人が教えてくれた治療法がふるっていました。

 「青いバナナを盗め」

 それが友人の助言でした。

 「え?」

 要領を得ない私に、友人がしてくれた補足説明をまとめると、以下のような手順になります。

 1.青いバナナが生っている木を探す。
 2.かっぱらう。
 3.もいだ断面から染み出してくる透明の液を患部に塗る。

 「要するにへたの辺りから染み出る液を塗ればいいんだな?」
 「そうだ」

 「バナナを買ってきてもいいんだろ?」
 「だめだ」

 「木から直接もがないとだめなのか?」
 「そうだ」

 「じゃあ持ち主に断ってからもいでもいいんだろ?」
 「だめだ」

 「盗まないとだめなのか?」
 「そうだ」

 そうかいそうかい、そこまで断言するなら盗んでやろうじゃないか。ハノイといっても私が居候していた家はハノイのはずれで、近所は庭付きの家がほとんど。まだまだ畑もたくさん残っているようなのどかな地区なので、バナナの木を見つけることに苦労はありません。薄暗くなるのを待ち、近所の庭からバナナを失敬してやりました。それを持ち帰って塗り、翌日また・・・。これを数日間続けていると、痒みはましになりできものも心なしかおさまってきたような気がする。

 半信半疑どころか「一信九疑」だった私ですが、案外効いちゃったわけです。民間療法侮るべからず、盗め療法恐るべし。「盗まなくても効くんじゃないか」という疑惑は、依然くすぶっているわけですが・・・。

 余談ですが、日本にもこの「盗め療法」と似た言い伝えがあることを帰国後知りました。既婚女性がなかなか妊娠できない場合に、十五夜の晩に供えられた団子や里芋を盗んで食べよといわれていたそうです。

 ベトナムのバナナの場合は、たとえ盗みがばれても理由が理由ですので、咎められることはないそうです(でも見つかると効果はなくなる)。そしてほとんど誰もがこの治療法を知っているとのこと。日本の場合も、「十五夜団子は盗まれるほど縁起がいい」と寛容な態度を示していたそうです。でもこの風習を今でも知っている日本人はどのぐらいいるのでしょうか。現代日本でやる場合は、ちょっとした覚悟が必要かもしれません。

参考:『旧暦で読み解く日本の習わし』 大谷光男監修 青春出版社 







最終更新日  2005年05月23日 20時45分03秒
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