天の降る日 2-B
何の警戒心も無く普通に歩いて路地に進んだギルバートに慌てて追いつき、コソ泥の可能性があるから不用意に近づくなと伝えた。荒事になるかもしれないからな。ギルバートは待たせて俺一人で確認する。 音がした路地は、さっきまで歩いてた月明かりで夜とは言え多少の明るさのある道と違い、細い通りで立ち並ぶ事務所や何やらで月明かりは届かず薄暗い。ランプの火が欲しい所だが、明かりを点けて近づけば逃げられる可能性がある。暗い中を進むしかない。 路地を真っ直ぐ進んでさほど経たず、1階入り口横のガラスの割れている建物を発見した。入り口にある看板には糸巻きをモチーフにした紋章があるから、織物やら布やらを扱う商売に関連した商業ギルドの事務所か何かだろう。 俺は息を殺し、足音をたてないよう慎重に近づく。その間中、建物の中から盛大に荒らし散らす音が聞こえてくる。相当派手に引っ掻き回してるようで音が酷い。まるでデカイ獣が家の中で暴れているようだ。 盗みに入ったのは相当な間抜けか初仕事で興奮したビギナーか。そうでなければここまで音を立てて盗みをしでかす馬鹿はいない。 割れた窓へと近づき中を慎重に覗き込む。さすがに路地自体が暗いわけだから、中は黒く塗り潰された闇でしかなく、音はしても盗人の姿は見えず。だが、音の響きから賊は一人だろう。響く音が複数個所からしない事、音をたててる位置の移り変わりに連続性がある事から間違いない。 さて、中に踏み込んで取り押さえるか、出てくる所を待ち伏せするか。腰に吊った剣に手を掛けた、その時。 これまたド派手な音がして、俺の横の扉が砕け散った。 そして闇から飛び出す影。「なんじゃ、こりゃ……」 その影を見て出た声は我ながら間抜けなもんだ。だってよぉ、仕方ねぇぞ? 今目の前に居るのはデカイネズミなんだよ。 つか、ネズミと言っていいかどうか迷う。大きさは人間大かそれより若干大きいか。顔の形はネズミのそれなんだが、グレーの毛の所々に白いコブのような物が出来ていて、それは体に比べると細い前足と後ろ足、長い尻尾以外に無数にあって原型を崩しているように見える。 そしてこれまたネズミと言っていいのか迷う要因、体の数箇所から真っ白な産毛みたいなのが生えていて、それが小刻みに震えてやがる。薄暗い中でもその産毛みたいなのがはっきり見えるのは、薄っすらと発光してるからか、そう錯覚しているからか。 とりあえず、まぁ、デカイネズミのような物が俺の目の前に出てきたわけだ。 それは俺から7,8m程離れた位置でしっかりとこちらを見据えて威嚇のような鳴き声を上げている。ちょっとでも動けば飛び掛ってきそうだ。やはり悪い予感ってのは当って欲しくない時ばかり当りやがる。そして今、そいつが飛び掛ってくるだろうと悪い予感がしているから、 当然、そいつは俺に向かって飛び掛ってきた。 7,8mの距離を一足飛びで跳ねて俺へと踊りかかるネズミ。それを右手で抜いた剣で何とか受け止める事ができた。剣と牙が激突してネズミは後方に下がる。 剣に手を掛けていた事が幸いした。ネズミを下がらせた隙にもう一方、左手に右手の剣に比べると小振りで軽い剣を抜く。こうやって両手にそれぞれ剣を持つのが、いつもの慣れ親しんだ俺のスタイル。これでこっちは準備万端、と言いたいのだが何せ暗い。それに相手はネズミ。人を相手にするのとは勝手が違い過ぎる。 飛び掛るネズミを避けて剣を振るうが空を斬るだけ。図体はデカイが何せすばしっこい。暗くて目測もいまいち合わない。こちらが踏み込んで斬りつけても、やはり目測が甘くなっているのか簡単に避けられる。 何度かそれを繰り返して凌いではいるが、正直分が悪い。 こっちはしんどいのだが、さすがは畜生だよな、全然ネズミに疲労は見えない。と言うか、ネズミが疲れてるかどうか何て見た目で分る訳が無い。ともあれ、長くは続けられん。「援護します!」 唐突に俺の背中側から猛烈な光が広がった。俺は平気だったが、ネズミの方はその光を直視して一瞬怯む。 今の俺は何故急に明るくなったとかそういったのは一切考えない。ネズミが怯んで動かない、チャンス以外の何物でもないこの瞬間、俺はそのチャンスを逃す事なくネズミへと一気に近づいて、逆手に持ち替えた両手の剣を、一息にネズミの脳天に突き立てた。正直言ってあまり気持ちの良いと言えない感触が剣越しに伝わるが、更に捻りと力を込めて貫く! 2本の剣がネズミの頭蓋を貫き通し、地面に突き立った。ネズミは大きく体を震わせ、絶命。 何とかなったな。戦いの間、詰めていた息が漏れる。 後ろを振り返れば、先程叫んだギルバートの姿。片手を頭上に高々と掲げ、更にその手の上には煌々とした明り。「サンキュ、助かった」「いえいえ、私にはこの程度の魔術しか使えませんが、お役に立てて良かった」 「しかし、そりゃランプ代わりに使う魔術の光だよな……よく咄嗟にそいつを目くらましにするなんて考え付くよ」「ありがとうございます」 何事も使いようだよな。まったく、それにしても戦い慣れしてるように見えないのに大した度胸と判断力だ。「旅を続けていると、何が起きても手持ちの物で対応しないといけませんからね」「是非その辺りをご教授願いたいね。夜の戦いについてはあんたの知識は俺より上のようだ」「ええ、良いですよ。ただ、別の意味でしたらそれほど経験がありませんが」「言うねぇ」 軽口を叩けるぐらいに落ち着いてから、刺さったままだった剣を回収して、倒したネズミをギルバートの光の下でしげしげと観察してみた。デカイ図体に体中に白いコブ、白い産毛。それ以外はいたって普通の溝鼠。大きさ的に普通じゃないから、普通とは言えんか。「しかしこいつはなんだろうな。今まで見た事もないぞ」「私も見た事ありませんね。どなたからも聞いた事ないです。そちらは?」「この街で誰かが見たってんだったら、大騒ぎになりそうだよな」「ですよね」 二人揃って首を捻る。 荒唐無稽の想像としてなら、何処かで誰かが作ったとか、それが何処からか逃げ出して家荒し。 いや、それは無いな。我ながらガキの妄想と変わりが無い事を思いつくもんだ。 これ以上ここに居ても答えは出なさそうだ。とりあえずは明日に親父さんとこいつの正体と今後を話すか。「とりあえずはこいつはほっといて、明日の朝にでも……」「危ない!!」 ギルバートが叫んだと気付いく前に俺は宙に浮いてた。 ―――――――燃え上がる家々の中でそいつらは―――――――― 正直油断しすぎてた。 そう思えたのも、左腕に強く引かれたような衝撃が走り、体が宙に浮いて地面に背中から叩きつけられた後だが。 倒れたままの横に向いた視界が捕らえたのは、倒したネズミの横で呻り声を上げるデカイネズミ。 ―――――――次々と人を襲って―――――――― ちくしょう、もう1匹いやがったんだ。 ―――――――襲われ、倒れた人々は次々に―――――――― それに吹き飛ばされてから訳の分からない言葉とか記憶が浮かんできて考える事を邪魔しやがる。 ―――――――白く崩れて逝く―――――――― くそったれ! 今はそれどころじゃねえんだ……黙ってろ!! 訳の分からない記憶を気力で封じ込めてなんとか立ち上がる。左腕に鋭い痛みが走る。さっきのネズミに齧りつかれたか、引っ掻かれたか、見なくても傷を負ったのが血で濡れて張り付く服の感触で分る。動かすにも痛みが走って剣を持ってどうこうする事なんて出来そうに無い。 利き腕の右腕には問題が無い事だけが行幸か。油断無くネズミを睨みつけながら、右手で剣を抜いた。 こうなりゃ、望みは俺の傍らで狼狽しているギルバートのみ。 「ギルバート、光消して逃げろ!」 「し、しかし」 「しかしも何もねぇ! ここに二人残っちまっても勝算がないんだ!」 「……くっ、分りました」 光を消して走り去るギルバート。それに反応したネズミに対して俺が牽制を加えて足止めする。 走り去る音が消えたから、何とか逃げおおせてくれたようだ。 ギルバートを逃がしたのは当然、英雄的な何かに目覚めたからじゃない。まず、ギルバートにこのネズミ相手に戦うなんて出来ないだろう。出来るならわざわざ光で怯ませときながら、俺に倒させるなんてしていないはず。既に光の中に居たネズミには目が慣れていて先程の手は通用しない。当然、片腕の俺一人でネズミを倒せるとは考えない。 この状態を脱するには救援が必要なんだ。その為のギルバートの脱出。 右手に持った剣を口に咥えて、胸当てに付けられたシースーからナイフを抜き出す。そして、気合と共にネズミへ投擲。「ふっ!」 ネズミの短い悲鳴。当りはしたが、致命傷には至たってない。もう一本投げつけるが、こいつは外れ。 今の俺は何としても救援となる人へギルバートが到達するまでの時間稼ぎ、そして出来るならネズミの隙を突いての逃走。危険は十分承知の上、だが他に手は無い。 ネズミの突進を軽く避ける。 先程光を消させたのは先程とは逆、明るい所が急に暗くなれば極端に目が暗闇に慣れるのに時間が掛かる。さっきまでネズミの方が光を直視していたからその効果もこちらより長くなるはず。現にネズミの突進は大まかな動きでしかなく、簡単に避ける事ができた。 だが、その効果も僅かの間だ。一度逃げるに限る。 こちらの目が完全に闇に慣れた。チャンスは今しかない。「んっ!」 ナイフを投擲。そして直ぐに剣を握り直すとネズミへと突進。ナイフを避けたネズミに向かって剣を振り下ろす。当然、ネズミはそれを大きく後ろに下がって避ける。それに対して剣を投げつけて更にネズミを遠ざけると、俺はそのまま、直ぐ横にあった路地に飛び込み走り出した。 攻勢に出ると見せかけての逃走。人間相手には有効な手だ。ネズミに通用するかは賭けでしかなかったが、今の所はうまくいった。 暗い路地は他の路地と複雑に交差し、狭くジグザグに走っている。いつネズミが路地脇から飛び出してくるかもしれない恐怖に耐えながら走る。正直、明確な目標もなく走ったから、下手をすれば先程のネズミが居た路地に出てしまうと言う喜劇としか言えない状況になる可能性もある。だが、それでも俺は何も考えずただ走りに走った。時間感覚も消えうせる闇の中、どれだけの時間走り続けたのかも分らない。 そうして走り続けてなんとか月明りが照らす通りへと辿り着いた。 周りを見渡しても、ネズミの追いかけてくる気配は……ない。 どうにか逃げられた。 そう思って、一息吐いた俺に。 真上からさっきのネズミが降ってきた。「ぐうぁ・・・・くそったれが・・・・!」 避ける事も出来ずネズミの下敷きになっちまった! 必死に、正しく必死にネズミを振り払おうとするが、ネズミの巨体はびくともしない。ナイフを掴んで突き刺すも、まったく堪えた様子も無い。狂乱状態になった俺はなおも何度も何度もナイフで突き刺すが、それもネズミの前足で弾き飛ばされた。 俺の上に覆い被さったネズミは、デカイ口を開けて俺の頭に齧りつこうとしている。あんな口で齧りつかれてはただではすまない。 万事休す。万策尽きた。 だが、俺の諦めと覆い被さったネズミは簡単に吹き飛ばされる。「こんばんわ。今夜も楽しそうな事してらっしゃるのね?」 楽しそうに嗤う、白い狂戦士によって。