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2021.01.25
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カテゴリ:西郷隆盛


 西南戦争には官軍 約7万人、 薩軍(西郷軍) 約3万人が参戦した。
薩軍には西郷の心意気に刺激された者や、武士の身分を失い苦しんでいた旧士族など参戦して来る者も多かった。中でも鹿児島だけではなく、他県からの参戦者も多くいた。
熊本隊 1550人。 協同隊 500人。 滝口隊 200人。 人吉隊 350人。 飫肥隊 800人。
佐土原隊 1300人。 延岡隊 550人。 延岡農民隊 800人。 都城隊 1550人。 
高鍋隊 1120人。 福島隊 300人。 中津隊 150人。 竹田報国隊 120人。福岡隊 535人。
などである。

 戦死者も官軍 6403人、薩軍 6765人にのぼった。
薩軍参加者で県外出身の者も南洲墓地に葬られているので、紹介したい。  
 






 西郷隆盛(南洲翁)と庄内藩(山形県)とのことについては、西郷の遺訓「南洲翁遺訓」が初めて世に出たのが、明治23年1月に山形県鶴岡市の庄内藩の人々によって出版されたことでもわかるように強い結びつきがあった。


 
 庄内藩は明治維新の当時まで会津藩と共に熱烈な佐幕派で、徳川のために最後まで忠義立てした藩であった。越後から東北地方、北海道を平定せんとする明治元年の戊辰戦争に官軍の総参謀として庄内に向かった西郷は、庄内藩に対して寛大な措置をとり、その誠意溢れる西郷に人物は庄内藩士に深い感動を与えた。そのことがあって、明治3年に庄内の藩公・酒井忠篤以下70余人は、はるばる鹿児島に西郷を訪ね百余日の間、南洲翁に就いて教訓と兵学を修めた。また明治8年には藩の重臣・菅実秀・が8人の青年を連れて南洲翁の幹を訪れ21日間教えを受けた。
南洲翁が私学校を開設すると、明治8年9月に庄内藩の戸田、池田、黒谷の3人が南洲翁の許に来る。
まもなく12月には、私学校入学を熱望する伴兼之(18歳)と榊原政治(16歳)の二人を連れて伊藤孝継が鹿児島に入り、南洲翁に二人の入学を願った。翁は他県人は応じがたいが貴県は特別ということで、二人の入学を許し篠原国幹の家にしゅくはくさせて通学させた。やがて明治10年になって西南戦争が勃発したので翁はしきりに帰国を勧めるが二人は、義を重んじ共に死を誓って遂に戦場の露と消えた。



 参考資料  wikipedia   「西南戦争」
      「大西郷の遺訓と精神」  南洲翁遺訓刊行会






Last updated  2021.01.26 07:05:40
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