小野町歴史散歩(その四) 石橋
幸加木神社の手前に建設会社があるのだが、その傍の道を歩いていると、上の写真の草に覆われた太鼓橋を見つけた。(あとでネットで調べると「幸加木中橋」という橋だった)。橋長3,55m、幅院、27mで仮設年代は不詳とのこと。しかしこの橋は写真で見る通り、廃橋になっており、この橋の少し上流側にコンクリートの橋が架けられて現在はその橋が使われているようだ。 この甲突川の支流である幸加木川を川沿い上流に行くと、幸加木神社の鳥居が見えてきて、神社に渡る石橋があった。「幸加木中橋」と言うらしい。橋長2,77、幅員1,2mという。この橋も仮設年代不詳だが、大正末頃ともいう。 下流側から大きく写す 上流側から写す この橋を渡り、鳥居をくぐるといよいよ幸加木神社境内である。川を右に見ながら森の中を進むと小さな本殿の前に石橋があった。「玉橋」という。これには「玉はし」と彫ってあり、大正8年の仮設という。 川に降りて写す この日目指した小野町の探訪はこの「南泉院歴代僧侶の墓」「木村探元の墓」「幸加木神社」「石橋」の4回で終わったが、予期していなかった石橋に遭遇したのは嬉しいことだった。まだまだ沢山の知らない、面白いものがあるという事が分かり、大きな収穫だった。 この後、国道3号線に出て鹿児島市街地に向かって歩き、途中 島津久光で有名な旧島津氏玉里邸庭園を訪ねたが、3月31日まで手入れのため休園になっていた。4月以降再訪して、又書く予定である。