ここにもあった壊された仁王像
浮世絵画家「歌川国芳の世界展」を鹿児島市立美術館に見に行き、そこで「敬老パス」を落とした私は、美術館からの落し物の連絡を受けて、もらいに行った。当日は他に用事もなかったので、陽気に誘われて海岸方面をぶらつくことにした。 先ず向かったのは、いつも気になっていた「不断光院」である。場所は鹿児島市易居町にあり、鹿児島市役所の本館前の電車通りを挟んで、左前方である。正門の前に立つと「養泉山 不断光院」とある。他には案内看板などもない。そこでウィキペディアで由緒をみてみた。それによると、浄土宗知恩院の末寺で、江戸時代までは長田町の現在の南風病院の周辺にあったとのこと。そして、薩英戦争時には山斜面にあったため、島津氏の城と間違われて園国艦隊の砲撃を受けて罹災したという。廃仏毀釈にも遭い、明治になって現在地に復興したが、太平洋戦争でも罹災した。 阿像は右手が欠落している 吽像は左手は先が欠落している阿吽像は両方とも廃仏毀釈時に土中に隠匿されたものを、農民が掘り出して販売しているときに買い戻したという。 境内に入ると阿像のみ、もう一体安置してあった。 これまでも何体かの仁王像(金剛力士)を見てきたが、残念ながら完全な形で残されているものは、ほとんどない。それでも、日本で一番徹底した廃仏毀釈の波を潜り抜けてこのような形ででも残されたものは、大変貴重である。このまま、後世に残したいものだ。