島津荘の政所発見のニュース
素晴らしいニュースが飛び込んできた。中世の南九州にあった近衛家領荘園で薩摩島津氏の起源とも関連のある島津荘(しまづのしょう)の政所(荘園の現地での支配の実務を扱った所)があった場と思われる遺構が発見されたというニュースが地元の南日本新聞に掲載されたのは10日くらい前のことである。 島津荘は日向国(現在の宮崎県)中南部および大隅国・薩摩国(現在の鹿児島県)の3カ国にまたがる日本最大の荘園で、最盛期には8000町を超える規模があった。(ウィキペディアによる) 9月17日にあった現地説明会の様子を伝える記事が9月20日の同じ南日本新聞に掲載されたのが上の写真である。私も説明会に行くべく準備していたが、台風騒ぎなどで見送った。記事によると「場所は宮崎県都城市郡元町、西原(さいばる)遺跡。ほぼ直角に曲がった深さ1,5m、幅3,5mの溝が見つかった。島津荘成立の11,12世紀ごろのものとみられる。周辺の地中調査から政所を囲む塀の西南角と推測される」という。 この島津荘があったと言われる都城市が「島津氏」発祥の地なのか、それとも島津氏初代・忠久から5代までの墓ある「感應時」がある鹿児島県出水市が発祥の地なのかについては両方ともその他の遺跡もあるためいわゆる本家争いが過去にもある。 私なりにこれまでも諸説を調べてみたところでは、詳細は省略するが、 島津姓が「島津荘」に由来することは間違いないと思われるが、発祥の地としては「出水市」も「都城市」も伝承に過ぎないのではと思う。従ってこれまでの諸説からして今回の島津荘の政所跡の発見が、即都城市を発祥の地とすることにはならないだろう。