「西郷どん」が眠る南洲墓地を訪ねる(その九)
前回の(その八)に書いたように西南戦争において西郷軍(薩軍)は3万人の兵力だったが、その中には薩摩以外から参戦した人々も数千人にのぼった。 中村恕助(なかむらじょすけ)も秋田県出身でその中の一人である。天保15年7月11日生まれで出羽久保田藩(秋田県)藩士。京都にて愛宕通旭(おたぎみちてる)ら公家の反新政府運動に加わり、明治4年終身禁獄、鹿児島県預けとなる。西南戦争で西郷軍に志願し出獄。熊本保田窪の戦いで明治10年4月20日戦死。34歳。 森川政一私学校で唯一の「雇われ人」として門番役を務めた。山梨県出身の平民。戊辰戦争で薩摩軍に加わり緒戦で活躍、関東でも戦功を挙げた。その後、西南戦争にも従軍し、豊後竹田市で挺身敵陣に切り込んで戦死した。 種子島彦之亟薩摩藩士、若干20歳で戦死。 1月も今日で終わり。皆さんのコメントに励まされて、1月は14回更新することができた。ありがとうございました。