今年の元旦は家族集合
一昨年の12月に妻を亡くした我が家に2回目の正月が巡ってきた。それでも13ヶ月も経っていない正月である。元旦の朝は、我が家では二男と二人で二男がダシをとったお雑煮をおかわりをして食べたり、これも二男が二日がかりで煮た黒豆だけの朝食を食べた。この食事も妻在世中からと何ら変わりはない。 ふと考えると今日はもう1月も最終の31日である。正月のことを二月になって書くのもと思いパソコンに向かっている。 昨年の正月は二男と娘で餅を搗いたり、娘がおせち料理やお雑煮を造ったりはしたが、長男が年末にコロナに罹患し、結局は娘家族と二家族で妻亡き後2週間も経たない慌ただしい中で正月を迎えるという盛り上がりも何もない正月であった。 今年の正月は妻が生きていた頃の正月を出来るだけ取り戻そうと、娘と長男の嫁が分担しておせち料理を造って持ち込んでくれた。それはそれで、感慨無量の私は年始の挨拶でしばらく涙が止まらず、子供や孫たちに見苦しいところを見せてしまう始末だった。 それはともかく、出来上がったおせち料理は妻がいる時と何ら遜色もなく、皆で美味しくいただいた。2日と3日は二男は外出したので、私は両日とも昼は、おせちの残りを食べながら至福の日々だった。 そして5日の誕生日には前々回書いたように「鹿児島五社詣り」で今年の体力試しと幸運を祈った。夜は家族も来て誕生日を祝ってくれた。7日は近所のNさんから「七草がゆ」の差し入れをいただいた。我が家は都合で後日造った。8日は黎明館であった「石垣シンポジュウム」に参加した。目出度い正月もここまでで、13日には北九州小倉の妻の叔父の訃報が入った。急遽私と子供3人で北九州に向かった。そのことは、次回に。