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ジージの南からの便り

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2012.02.23
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カテゴリ:鹿児島の城と麓
 2月19日(日)日中の最高気温が8度くらいまでしか上がらない寒い一日だった。
午前中は家でうだうだしていたが、12時過ぎて南さつま市に向かった。
金峰町の道の駅“木の花館”で野菜などの買い物と、食事。ここは数年前に火事で焼けてしまったのだが、食事どころも含めて再建されていた。火事の前は座敷ばかりだったが、今度は椅子席も作ってある。新メニューという“味噌仕立てのそば”とおにぎりをいただく。これが抜群においしかった。

 そこから走ること20分くらいで「阿多麓」に着く。車を降りて散策するが、吹きっさらしでとにかく寒い。写真も2,3枚であきらめ、ここは出直すことにして、270号線を「竹田神社」に向かう。ここも寒さのせいか参拝の人影もほとんどない。
ここは先日のブログに書いた“関が原の戦い”で有名な島津義弘などの祖父・島津忠良の眠る地である。

 フリー百科事典ウィキペディアによると、現在は「たけだじんじゃ」と読むが、神社創建当時は「たかたじんじゃ」と読んでいた。日新偉霊彦命(島津忠良公)を祀る。祭神は島津氏中興の祖とされた。元々は祭神の菩提寺である日新寺(じっしんじ)がここにあったが、明治2年(1869)廃仏毀釈により廃寺とされ神社として創祀され、明治6年に島津氏により社殿が造営された、とある。

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竹田神社鳥居。 道路を隔てて写す。

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 竹田神社案内板

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本殿 建物に島津家の丸に十の字がある。

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本殿右奥の石蔵

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「いにしへの道」案内板

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「竹田の杜を歩く」案内板



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「いろは歌四十七碑由来記」案内板

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いろは歌 歌碑。   左右に47碑ある(一つに一首)

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「島津忠良と日新公いろは歌」案内版

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日新公の三男 島津歳久の墓。

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「常潤院の仁王像」案内板。廃仏毀釈から百十数年ぶりの昭和57年に発掘された。

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 仁王像

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「島津忠良の墓」案内版

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島津忠良の墓

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「大乗妙典一千部塔」案内板 
天文24年(1555)日新公が子孫の繁栄と敵味方の供養のために建てた。

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大乗妙典一千部塔

 この後、加世田城(別府城)や武家門などの残る素晴らしい加世田麓を歩いたが、また後日そのことは書きたい。






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Last updated  2012.02.23 14:55:28
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