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カテゴリ:読書
7月15日縁あって貴重な本を手に入れることが出来た。著者のサイン入りである。 前島原市長 吉岡庭二郎著 「一陽来復」である。 本の帯に「噴火災害乗り越え世界ジオパークへ『よし、俺がやるしかない』島原再生に挑んだもう一人の男、島原市長・吉岡庭二郎の苦悩と戦いと喜びの記録」とある。(発行所 長崎新聞社) この本は1990(平成2)年11月17日の朝198年ぶりに雲仙普賢岳したことに始まった大災害を乗り越え、20年がかりで島原を復興した記録である。 吉岡氏はその噴火の年の10月1日、それまでの長崎県の園芸課長から乞われて出身地の島原市の収入役として転身されたばかりだった。 198年前の寛政の噴火時には「島原大変、肥後迷惑」と言われた大災害につながっている。そこで鐘ケ江市長ののもと市は直ちに「災害対策本部」を設置し避難計画などの検討を始めた。幸い小康状態が続き噴火を眺めようと観光客が増えるとという現象も起きてきた。 ところが平成12年3月頃から山の活動が活発化してくる。そして6月3日の大火砕流・大惨事が起こるのである。その時の状況は詳述されていて、その描写で凄まじかった様子がよく解る。私も一気に読み進んだ。この噴火・火砕流の犠牲は大きく、43人の死者・行方不明者を出した他、住家49棟と非住家を含む197棟が焼失した。 そして「自衛隊災害派遣」「警戒区域設定」などを行い、慌ただしく推移する。 6月20日、体調の悪い助役に代り、吉岡氏が助役に選任される。 その後も、6月30日の土石流で134棟の建物が流失・埋没、9月15日、65棟全焼するなど被害は続出する。 一方、全国各地から義捐金などによる激励・支援が相次ぐ。そこで平成3年11月財団法人「雲仙岳災害対策基金」が設立され、市としても「島原市義援基金」を設立し復興・振興事業を推進していくことになる。平成4年1月には市に「災害復興課」を新設する。 そんな中で、平成4年12月鐘ヶ江市長の引退を受け「よし、俺がやるしかない」と市長選に打って出た吉岡さんは強力なライバルと戦い、見事市長に当選する。そして2期目、3期目は無投票、4期目は1期目に戦ったと再度戦い当選。4期16年を務めるのである。 平成5年の年頭挨拶で「実行の年」と位置付けここから本格的な復興の戦いが始まるのである。 島原半島全体を視野に入れて地域再生を図るために「がまだす計画」(がまだすは島原弁で“頑張る”の意)を策定、27の重点プロジェクト、335事業に取り組む方向を打ち出す。しかし平成5年も災害は止むことなく火砕流・土石流なども頻発する。 そこで市長自ら住民避難の説得をするなど激務がつづく。それでも犠牲者も出た。 しかしそういうこれでもかこれでもかと襲いかかる災害にも「これがどん底なのだ。これを乗り越えれば、また上向きに転じる」というこの本のタイトルともなった「一陽来復」という言葉を座右の銘として頑張ってきた。 市役所・消防署・消防団・警察・自衛隊の連携。その中でも自衛隊の活動は特筆すべきものがあった。火山の観測・研究機関と自衛隊との連携構築も大きな特徴であり、その成果は画期的なものであたあとのことである。 その他、疲労困憊の市職員、避難した人々の健康管理など沢山の問題も発生する。これらも一つ一つ解決していく。 ここまで読んだだけでも、私はこれからの災害発生に対する処方箋になることが沢山書いてあることに今更ながら感心するのである。 そしていよいよ復興への動きが始まる。主な項目は次のようなものだ。 「広がる支援の輪」 ○義捐金ボランティア活動。 ○コンサートなど多彩に。 「本格復興へ」 ○噴火活動の沈静化。 ○災害対策基金と無人化工法。 ○商品券の発行。 ○安中三角地帯嵩上工事。 ○集団移転。 ○農業の再生をめざし。 ○自力再生に燃える。 ○漁業の振興。 ○観光業の振興。 ○安徳海岸埋立。 ○がまだす計画。 ○雲仙岳災害記念館。 ○情報網の整備 ○コミュニティFM局。 「火山との共生、そして未来へ」 ○火山都市国際会議の開催 平成19年11月19日から5日間。 「火山と共生する都市(まち)づくり」をテーマに開催。31か国から600人参加。 参加者との交流に取り組んだ小中高性まで入れると総勢2700人の参加となった。 「ジオパーク」 大地のテーマパーク。地質遺産。 平成21年島原半島地区を含め3地区が日本初の世界ジオパークネットワーク加盟がみとめ られた。 この本は2011(平成23)年6月1日発行されているが、著者は「はじめに」のなかに次のようの書いておられる。 「四季折々に輝くばかりの美しさを見せる日本の自然。その自然が、時に過酷なまでの試練を私たちにもたらすことがある。この原稿を書いている最中に起きた東日本大震災の惨状をみて、想定を超えるほどの自然災害の怖さをあらためて知らされた思いがする。…私のこの体験が、これからの災害対策に少しでも役立てば幸甚です」 吉岡さんは実は私たちの男声合唱団の先輩である。 普賢岳噴火のあと、私たちのOB男声合唱団も同じ火山を持つ身として、鹿児島を始め全国のメンバーが島原に100人ほど集まってチャリティーコンサートを開いた。島原市民の皆さんに大変喜ばれて、そのあと2回全部で3回の演奏会ができた。そのこともこの本の中に写真入りで紹介されている。この7月15日に鹿児島市であった演奏会にも吉岡さんも駆けつけてくれて、一緒のステージに立つことが出来た。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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