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カテゴリ:鹿児島の歴史
![]() 1月17日、風はいくらか冷たいが、晴れで最高温度12度という陽気に誘われて久しぶりにリュックを背に歩いて出かけた。家にと閉じこもる一日よりも、動く一日にしたいという想いもあった。歩き始めたら快適で、いつの間にか背中が汗ばむほどである。鹿児島の冬は少々寒くても、お天道様さえ輝いてくれれば快適である。 最初は家から歩いて30分ほど先の小野町の史跡を3つ回って帰るつもりだったが、途中考えが変わり、帰りに一部バスを利用したものの、10時15分出発して家に帰り着いたのは3時45分。途中休んだのは、マックで軽食を摂った20分くらいのもので、バスの10分と合わせても30分くらいのものだった。終わってみれば、4時間くらい歩き回っていた。13Kmから15Kmくらいは歩いたか。 前段が長くなったが、話を本筋に戻そう。 この日の一番先の訪問箇所は上の写真にある「南泉院歴代住職の墓」である。 ここは私の住む団地を下ると行き当たる、国道3号線を伊敷方面から左に曲がってくる206号線上の小野高山バス停の右上にあった。 入口の案内板に次のように書いてある。 南泉院は、照国神社のところにあった天台宗の寺院で、宝永7(1710)年徳川家康を祀る東照宮の別当寺として建立されました。当時新しく寺院を建てることは禁止されていましたので、鶴田村(現在のさつま町)大願寺の寺籍を移し、大雄山南泉院と改称して開山したものです。寺領は500石、実相院、観相院、吉相院の3つの支坊をもち三州天台宗の触頭(ふれがしら)として、藩内有数の大寺院となりました。小野高山が南泉院領であったためこの地に歴代住職が葬られています。墓は上段に開山偏詢周僧正、その下段に2世から11世までの石塔が並んでいます。 平成元年3月31日 鹿児島市指定史跡に指定されました。 上段にある開山 偏詢周僧正の墓 ![]() 2代から7代の墓が並ぶ ![]() 墓地の中央部には8代から11代の墓 ![]() 11代の墓は一際目につく ![]() 市の案内板の記述にもあったように南泉院跡は現在は照国神社となっているが、その照国神社は南泉院が廃仏毀釈で無くなったあと、第28代島津家当主・斉彬公を祀るために建てられたもので、西南戦争の最後の戦いでも有名な城山の麓にある。市内の中心部にあり、初詣や六月燈では毎年沢山の人出で賑わう。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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