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カテゴリ:鹿児島の歴史
前回は霧島市国分の城山公園にある珍しい十三仏を紹介した。 今回紹介する「橘木城跡供養塔」も国分郷土館の同じ敷地内に建っている。 案内板にあるように、南北朝時代の城主・重久篤兼が建立したものとみられる。そして橘木城跡からここに移されたものという。 2基の供養塔はいずれも「南無阿弥陀仏」の六文字が薬研彫りで見事に彫られている。しかも十三仏よりも古いもので建武3年(1336)と暦応4年(1341)に建てられたというから約680年前のもので、圧倒される。 2基の供養塔の右側に、もう一つ珍しい石塔があったので調べてみたが、正体不明である。 上の文字部を見ると「明治・・・」とも読めるので、比較的新しいものかもしれない。どなたか由緒をご存知のかたはご教示願いたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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