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カテゴリ:鹿児島の歴史
![]() いちき串木野市の市来大里にある市指定文化財の万年山金鐘跡墓地を訪ねた。 ここを訪ねたのは、昨年の6月、ブロ友の「ヤギ使い」さんのブログ「北薩石造物巡行」の中で「金鐘寺跡」が紹介されたのを拝見したのがきっかけである。その中に私が興味を持っている「五輪塔双式板碑」が紹介されていたのでなお一層興味をそそられての訪問である。 市来の大里地区に入って、鹿児島本線沿いの道から木場迫公民館横を道なりに登って行くと墓地に到着した。現在も墓地として使われている。その中に上や下の写真の通り五輪塔や無縫塔など石造物がたくさん残されている。 しかし、写真で見るとおりかなり破損されている。 ![]() 現地説明版によると、金鐘寺は南北朝時代の永和3年(1377)市来氏が和泉国の人で能登国総持寺の大源和尚の法師であった了堂和尚を招聘して創建したものと伝えられる。ある日、了堂和尚の夢枕に八幡神が立ち「西に行けば金剛の鐘を鳴らして共に響かん」との神託を受け、当地に至ったという。寺号の金鐘もこの由来である。と書いてある。 無縫塔群(坊主墓) ![]() 石造物群 ![]() 五輪塔双式板碑 ![]() ![]() なお、「ヤギ使い」さんによれば、下から山道を歩いて登れば、他にも無縫塔や供養塔、台座付き坐像、仁王像などがたくさん見られるとのことである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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