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カテゴリ:旅行・ドライブ
熊本城からバスセンター方面に下りて昼食場所を探していると辛島町に出ていた。そこからサンロード新市街のアーケードに入っていくと、お目当ての熊本ラーメン屋を発見。高菜ラーメンを頼んだ。
まあまあだったが、家族で北九州に行く時走る高速道路のSA宮原のフードコートの熊本ラーメンの方が私の舌にはぴったりくる。 辛島町電停から5駅の熊本駅へ電車で行く。熊本駅から今日2度目の新幹線・さくら56号で新鳥栖駅へ。長崎駅への乗り継ぎのためここで約30分の待ち合わせであるが、新幹線のためだけに造られた文字通り新駅のため、コンビニがあるくらいで喫茶店すらない。正直もう少しどうにかならないかと思った。 ![]() 待合室で待つこと30分、やっとホームに出ていると、かもめ25号が入ってきた。 ![]() 列車の旅1時間30分で7年ぶりの長崎に到着。その間、車窓からの眺めも満喫した。 当時転勤族だった私は若い頃ここ長崎はちょうど3年間家族ともども住んでいて「おくんち」や「精霊流し」など子どたちと一緒に見た思い出なども重なって大変懐かしい場所である。また地元の方々も町内はもちろん、営業マンだった私のお得意さんたちも親切でいい思い出ばかりが残っている。 ![]() ![]() 駅から浦上の方に歩いて約5分NHKのある坂を「日本二十六聖人殉教地」の案内版に従って急坂を登ると西坂公園に行き着く、その入口の右側に殉教跡碑がある。 ![]() 案内版には次のような記述がある。 慶長元年12月19日{1597年2月5日)6名の外国人と20名の日本人が豊臣秀吉のキリシタン禁止令のため、大阪、京都に捕らえられ、長崎に護送され長崎の町に面したこの地で処刑された。 この26名の殉教のできごとは、ヨーロッパその他に広く伝わり、文久2年(1862)ローマ教皇は、盛大な祭典をローマで行い26名の殉教者を聖人に列し「日本二十六聖人」と称せられた。 ![]() また、歴史の街長崎ぶらり散策には次のようにある。 長崎県指定史跡 昭和31年4月6日指定 劣勢100年祭を記念して昭和37年(1962)高さ5,6m 幅17mの御影石の台座に二十六聖人等身体のブロンズ像を配した記念碑が建立された。(彫刻家 舟城保武氏の作) また、昭和25年(1950)にはローマ教皇ピウス12世(ピオ12世)がこの地をカトリック教徒の公式巡礼地と定めている。 ![]() 次回は原爆落下地点や平和公園、浦上天主堂のある浦上方面を訪ねたことを書きたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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