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ジージの南からの便り

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2019.04.25
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カテゴリ:鹿児島の歴史


 今日のタイトル「大隅国府でも『梅花の宴』?」は南日本新聞の平成31年4月23日、地域総合版の見出しである。そして地元のテレビでも取り上げられてKKBが下の3枚の写真にある形で放送された。

 私は2015年の5月にここを訪ねた。上の写真がその時のものである。そして5月15日にブログに訪問記を書いているので何事かと新聞に見入った。

 それによると、新元号「令和」の出典となる歌が詠まれたとされる太宰府政庁長官・大友旅人(おおとものたびと)邸での奈良時代の宴から100~200年ほど下る平安時代、地方の国府を中心とする和歌の文化を想像させる貴重な遺物が霧島市にあるというのだ。



 国分府中町の大隅国府跡から2007年に出土した仮名墨書の土器で、和歌の一部が書かれている。
底に高台ついた直径14,5cm、高さ約3cmの素焼の坏(つき)。



 内側に連綿体の文字が4行書かれ下の写真のように読めるという。「千年経っても」の意味とされるそうだ。この土器をテーマに講演をしたこともある富山大学の鈴木景二教授(日本古代史)は出土状況もふまえ「国府の宴会の場で詠まれた寿ぎ、めでたいことを祝う和歌の下の句では」と推測。「地方の国府での歌会は各地で開かれていたはずだが、実際の現場を示す史料としては全国でもまれなもの」と指摘する。梅花の宴が開かれたとされるのは、天平2年(730)。和銅6年(713)に設置された大隅国府の跡から出土した土器の年代は、9世紀後半から10世紀初めとみられている。

 4月24日午後から国分郷土館で展示が再開されているという。



 ここからは2015年5月15日のブログの一部再録になるが、この大隅国府跡は現在は民有地である。個人の所有だが私が訪ねた2015年には奥様が丁寧な対応をしていただき、お話も聞くことができた。 










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Last updated  2019.04.25 11:51:52
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