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ジージの南からの便り

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2019.09.11
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カテゴリ:鹿児島の城と麓


  武家屋敷群を歩いていると、珍しい石造物に出会った。まさに「犬も歩けば棒に当たる」である。
「稽古所跡」と「石敢當」である。

 「稽古所跡」の説明版には概要次のようなことが書いてある。
江戸時代後半、郷士子弟の教育の場が稽古所である。稚児は数え7歳から、二才(にせ)は15歳から25歳までの若者が学問や武術、礼儀作法を学んだ。知覧には5番組まであったとされる。
石碑の右側には、ここは知覧島津氏が領主の時代に武士の青年たちが集まり、書を読み、学問を行い、武芸の鍛錬に励むために設置された場所であると彫られている。「書をよみ、武を練り」の書は太平記や義士伝、太閤記を読み上げ、武は示現流の剣術、弓術、相撲を修練したとされる。



 「石敢當」の説明版には概要次のように書かれている。
 三叉路の突き当たりに建てられているこの石は、屋敷内に魔物が入ってくるのを防ぐとされる「石敢當」という魔除けである。中国発祥の信仰で江戸時代に琉球を経由して鹿児島に伝わり、T字路地や三叉路に設置された。現在知覧では麓(武家屋敷群)と開運で栄えた海岸部を中心に十数基設置されている。

 この「石敢當」については当ブログにも何回か取り上げているが、鹿児島一円にあり、他県にもあるようだ。鹿児島市では旧いものも見かけるが、新興住宅団地でも個人によっては、三叉路や突き当たりに設置している家庭も散見される。






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Last updated  2019.09.11 10:01:13
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