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カテゴリ:鹿児島の歴史
パリ万国博覧会は1855年を第一回とし、1867年、1878年、1889年、1900年、1925年、1937年に開催され、1947年にはパリ国際博覧会と名称を変えてかいさいされた。 9月23日付けの南日本新聞にその第二回パリ万国博覧会に薩摩藩が参加したときに制作した勲章が新たに発見されたとういう記事が掲載された。一面記事は上記の通りだが、22面にも関連記事が書かれている。 22面の見出しは「幕府と外交戦の証し」「独立した立場アピール」というもので、概要は次のとおりである。 慶応3年(1867)の第2回パリ万博で薩摩藩がフランス政府高官らに贈った勲章は星形で最大径は約4CM「薩摩琉球国」の文字と丸に十の字がデザインされ裏には「贈文官兼武官」と記されている。フランス製の革張りのケースに納まっていた。 指宿市の薩摩伝承館が所蔵する勲章とほぼ同一で、胸に付けるタイプと見られる。一回り大きい首掛けタイプ(最大径5、2CM)が尚古集成館に残る。ほかに、羽織はかま姿でブーツを履いた市来政清が写る白黒写真も新たに見つかった。同じ構図で写った使節団長(正使)の岩下方平(いわしたみちひろ)の写真は広く知られており、同時期、同じ写真館で撮ったとみられる。 新聞概要は以上 この第2回パリ万博に将軍の名代として徳川昭武が出席し国際舞台へのデビューとなった。日本として初めての参加でもあり、幕府の存在と権威を示す外交の場でもあった。 ここに、別途それぞれ参加したのが薩摩と佐賀である。薩摩藩は「日本薩摩琉球国太守政治」の名で幕府とは別に展示し上記の独自の勲章まで制作した。 時は正に維新前夜(翌年1868年は明治維新)であり、対立は万博会場でも繰り広げられたことになる。出品の品々は幕府は「武器」「図画」「漆器」「書籍」など1014点。 薩摩藩は「上布」「砂糖」など琉球の特産品、「薩摩焼」など480箱。 佐賀藩は「伊万里焼」のど陶磁器中心に506箱。 一方で日本の出品物は日本趣味と呼ばれる流行を欧米に巻き起こし「ジャポニズム」のきっかけになった。政治、経済、文化の面から万博は世紀の一大イベントだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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