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2020.07.24
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カテゴリ:島津義弘


 霧島市牧園町のM家墓地を参拝見学した私たち一行が次に目指したのは、湧水町栗野にある「松尾城」(栗野城)である。
 松尾城は島津義弘ゆかりの城の一つであり、天正18年(1590)~文禄4年(1595)の5年間在城した中世の山城である。
これより前は肝付氏庶流の血筋である真幸院の在地領主・北原氏の居城だった。
城は川内川に面した台地に築かれていて、現在は城山公園として大手門を模した冠木門が築かれている。
本丸、二の丸の他、堀を隔てて各出城や護摩所、研屋敷、南御門、調練場などが配置されている。

 本丸の石垣は義弘が太田道灌の子孫といわれる太田武篇之助に造らせたといわれ約500個の野面石の積み上げられた強固な造りとなっている。



 この野面積みの石垣は鹿児島では珍しいと言われている。



 石垣は総延長約52m、勾配70度であるという。
甲州流の築城と言われており城壁に石垣をもつ山城は他に例を見ないという。



 石の階段を登り、平地になった本丸跡に着く。
 




 逆光で見えにくいが「松尾城址」の石碑がある。



 本丸跡と二の丸跡には館の礎石が残っていた。(ここは本丸跡)



 二の丸跡には館の礎石が幾つか残されているだけでこの写真の左側は草が生えているだけだった。



 文禄元年(1592)義弘は豊臣秀吉の命を請けて二男・又一郎久保とともに朝鮮での文禄の役に当城から出陣した。「刀磨欲踊り」(かたなときほしおどり)を舞わせ軍勢の士気を高めたといわれる。



 文禄4年(1595)8月義弘公は無事帰城したが、久保は文禄2年9月に戦地で病死した。
また帰城前の文禄4年7月には五男・久四郎が病死、相次いで子を亡くして悲しい思いの続いた義弘公は居を帖佐に移し、この松尾城に腰を落ち着けることはなかった。

 参考資料 当城の説明版を中心に「戦国武将 島津義弘 史跡ガイドブック」、ネット情報など。






Last updated  2020.07.24 09:19:25
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