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2020.10.11
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カテゴリ:鹿児島の歴史


 上町五社(鹿児島五社)詣りに誕生日の1月5日に行くようになって3年になる。参詣順路一番の南方神社(お諏訪さあ)は、私が清水町に住んでいた頃から馴染みの神社である。鹿児島での夏の恒例行事・「六月灯」には毎年夜お詣りに行ったものだ。
今日の写真は今年の私の誕生日の一日遅れの1月6日にお詣りに行った時に写したもものである。

 お詣りしながら境内を動き回っていると境内の一角にたくさんの文字を書いた石碑を見つけた。



 「旧射圃記」とある。「きゅうしゃぼき」と読むらしい。
なお、「射圃」とは「弓道場」のことである。



 帰って調べると鹿児島市の「史跡めぐりガイドブック」に概要次のような記述があった。

応永20年(1413)島津家8代当主・島津久豊が菱刈氏を討とうとして出陣した後、伊集院頼久が清水城を攻めた。清水城が危機に瀕したとき、上町の篠原新右衛門が人々に呼びかけて防ぎ戦った。
激しい戦いで数十人の死者がでた。
久豊は市井の人々が困難に殉じたことを賞め、人々に土地を与え弓のけいこをさせた。その後泰平の日々が続き、弓のけいこをする者もいなくなり、射圃は顧みられなくなった。寛政8年(1796)町役人が中心となり射圃を復活することになった。これらのことが記されている。



 「旧射圃記」については「平田信芳選集 石碑夜話」や「鹿児島の金石文」に詳述されている。
興味のある方には一読をお勧めする。






Last updated  2020.10.11 11:01:56
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