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カテゴリ:鹿児島の歴史
上町五社(鹿児島五社)詣りに誕生日の1月5日に行くようになって3年になる。参詣順路一番の南方神社(お諏訪さあ)は、私が清水町に住んでいた頃から馴染みの神社である。鹿児島での夏の恒例行事・「六月灯」には毎年夜お詣りに行ったものだ。 今日の写真は今年の私の誕生日の一日遅れの1月6日にお詣りに行った時に写したもものである。 お詣りしながら境内を動き回っていると境内の一角にたくさんの文字を書いた石碑を見つけた。 「旧射圃記」とある。「きゅうしゃぼき」と読むらしい。 なお、「射圃」とは「弓道場」のことである。 帰って調べると鹿児島市の「史跡めぐりガイドブック」に概要次のような記述があった。 応永20年(1413)島津家8代当主・島津久豊が菱刈氏を討とうとして出陣した後、伊集院頼久が清水城を攻めた。清水城が危機に瀕したとき、上町の篠原新右衛門が人々に呼びかけて防ぎ戦った。 激しい戦いで数十人の死者がでた。 久豊は市井の人々が困難に殉じたことを賞め、人々に土地を与え弓のけいこをさせた。その後泰平の日々が続き、弓のけいこをする者もいなくなり、射圃は顧みられなくなった。寛政8年(1796)町役人が中心となり射圃を復活することになった。これらのことが記されている。 「旧射圃記」については「平田信芳選集 石碑夜話」や「鹿児島の金石文」に詳述されている。 興味のある方には一読をお勧めする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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クマタツさん今晩は。
「射圃」=「弓道場」なのですね。兄は高校で弓道部でしたが、私は心得がありません。 また例によって偶然ですが、今夜「地神」について検索していたら、南方神社の奥に「地神、地眼、水神」など書かれた石碑が置かれているという記事を見つけたところでした〜(^-^) https://yatsu-genjin.jp/suwataisya/jinja/jigami.htm 面白いですね♪ きっかけは「調所広郷邸跡」のマンションブロック塀外の道路脇に「地神」の石碑があり、気になったことでした。 FBで写真をアップして尋ねる方がおられたので6日火曜日に確かめに行ったのでした。 その後、父と一緒に黎明館に「鹿児島の城館」企画特別展を見に行きました。 思いがけず、高祖父・名越時敏の日記なども展示してあり、行って良かったです♪ (2020.10.11 23:07:31)
ひさしぶりに開き1ヶ月分余拝見。すごい内容で驚嘆する。素晴らしい日常の暮らしですね。私は、コロナ禍のため、ややゆったりした町内会長6年目の毎日です。最近ゆっくり懇談していませんですが、柳先輩とは彼は2丁目町内会長のためよく語る機会が多いです。元気ですよ!体力等は私より若いです。
イラスト入りは楽しく拝見。良き友が多くて先輩の人徳ですね。東郷学園演奏を頑張りましょう。 (2020.10.12 10:40:22)
雪見月こと、ゆきさんへ
ご無沙汰しています。 南方神社に最近行かれたのですね。 またまた偶然が重なりました。 おっしゃるように南方神社にはたくさんの石造物があります。 「旧射圃記」だけでなくいろいろ写真も写していますので、そのうち紹介できるでしょう。春日神社にもいろいろ集めてありますよ。 たくさんの神社をまわりましたが、「水神」「地神」などが集められていると思われ事が多いです。私は神社に行ったら隅々まだ見て回るのを楽しみにしています。 ゆきさんご紹介のブログにもあるとおり、だと思います。 (2020.10.12 11:21:48)
ジェリー森尾さんへ
「ジェリー森尾」で学生時代を思い出しました。 たくさん読んでいただいてありがとう。 最近益々筆が進まず? 書く事が億劫になってきています。 しかし、このようなコメントをもらうと、書けるうちはなんとか頑張ってみようというきになります。 東郷学園義務学校のスクールコンサートは明後日になりましたね。 がんばって歌いましょう。 (2020.10.12 11:27:36)
お馴染みの神社なのですね。
それでも、よく気をつけて歩くと、こんなところが!って思うような場所に出会うのですね。 遠出しなくても、たくさんの驚きに出会えるものですね。 六月灯、わたしは実際のお祭りには触れたことがないのですが、亡き義父が鹿児島神宮の六月灯のことをよく話してくれたことを思い出します。義父が言うと「ろっぐゎっと」ってきこえましたっけ。 (2020.10.13 09:08:31)
縁切りのスポットとして全国的に有名です。
(2020.10.14 08:56:44)
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