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ジージの南からの便り

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2020.10.14
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カテゴリ:男声合唱


  マスク着用で勢揃い(上の写真は団員のKくんから提供を受けた)




   (上の2枚の写真はリハーサルに向けて準備中のもので当然ながらマスク着用である)
 
 久しぶりの演奏会だった。
しかも、私に大いに縁のある薩摩川内市東郷町の学校である。
私にとって70年ぶりの母校? である。
  
 昭和19年我が家は父の出征によりいわゆる女・子供だけの家庭となり、母の郷里・薩摩郡上東郷村にある母の姉(私にとって伯母)を頼って、その隠居所に疎開した。
そして昭和20年8月15日そこで終戦をむかえる。
そのあとも満州から先の行方も安否もわからない父の帰還をそこで待っていた。
そういう中で私は昭和21年4月1日を迎えて「東郷小学校」に入学した。
同級生には叔母の子供である男の子もいた。
その頃の艱難辛苦は今更だが、そういう中でも田舎にも馴染み貧乏な中にも楽しい思い出もたくさん作ることができた。それは私の生涯の財産になっている。あの時期の伯母や従兄弟達とのつながりは今も生きている。
しかし、ある日遂に父が思いもしなかったフィリッピンで戦死したとの公報が入る。
疎開先では生活の成り立たない我が家は3年生の2学期途中に鹿児島市に帰ることになる。
その後、母も勤めに出る、姉たちも次々に勤めに出ることでどうにか生きてのびることができたのだった。
  
下の写真は休憩時間中の生徒さんたち 私たち演奏者とは10mの間を空けて、マスクを付けて鑑賞



 その東郷小学校が2019年4月1日、東郷中学校が統合されて開校したのが9年制の「薩摩川内市立東郷学園義務教育学校」である。
今回縁があって、そこでスクールコンサートを開催すると決まったのは昨年のことである。
その日から私はワクワクドキドキしながらその日を待っていた。
しかし、思いもしなかったこのコロナ禍である。
果たしてスクールコンサートは開催されるのだろうか。学校側にもいろいろなお考えがあるだろうしどうなるのだろう。2月から8月までは落ち着かない日々が続いた。
9月になって学校から今後よほどのことがない限り予定通り開催しますとの連絡があって、こちらも最終準備に入った。

 そして、今日を迎えたのだが、私たちはいつもの練習時に検温の上で練習場に入りマスクをつけての練習をしているが、今日はバスに乗る前に検温し、マスクを付けて車上の人となる。
約1時間で学校に到着。他時間の発声練習とリハーサル。
演奏開始  今日の曲目は

 団歌「輝く黎明」   ビリーブ    花は咲く    箱根八里
 ウエルナーの「野ばら」を歌っての「男声四部合唱」のハーモニーの解説
 夕焼け小焼け   待ちぼうけ
        休憩
 ピアニストによるピアノ演奏  モーツアルトとベートーベンの「トルコ行進曲」
 「組曲 空飛ぶうさぎ」から3曲  「お母さん」  「手紙」  「空飛ぶうさぎ」
 ふるさと(会場と一緒に)
 東郷学園義務教育学校校歌(会場と一緒に)
 
 以上の演奏中の生徒さんたちの鑑賞態度は素晴らしかった。
最後の校歌は1年生から2年生と低学年がハチキレンばかりの歌声で一番元気がよく生徒さんたちが楽しんでくれたことがわかった。
しかし、一番楽しんだのは、久しぶりの演奏会に燃えた私たちおじさん軍団だったかもしれない。
私にとっては生涯忘れることのできない演奏会になるだろうと思う。
最後になりましたが、校長先生はじめ先生方、生徒の皆さんほんとうにありがとうございました。
 
(下は貸切バス その左側が学校)



 下の3枚の写真は、今は廃校になった、私が入学し、3年生の途中まで通った東郷小学校
建物は建代わり昔の面影はないが、周りの苔むした石垣などはそのままである。(バスの中から写した)





 今も学校の前は田んぼが広がっていた。のどかな田園風景いつまでもと願いながら東郷町をあとにした。






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Last updated  2020.10.22 19:35:33
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