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ジージの南からの便り

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2020.10.20
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カテゴリ:鹿児島の歴史


 「若き薩摩の群像」は鹿児島中央駅前広場の正面にある。
1865年19人からなる薩摩の使節団が串木野(現在のいちき串木野市)の海岸から国の掟を破り英国に渡った。その中に長崎の通詞(通訳)・堀孝之と土佐藩脱藩の後薩摩藩士となった高見弥一(弥市)の二人がいた。しかし、その二人については、この群像が1982年に鹿児島市が人口50万人達成記念と建立された時に藩外出身ということで除外されて17人の像のみ建立した。なんという狭量なことをしたのだろうと思ったのは私だけではなくてく今日までくすぶっていたようだ。
何はともあれ、この度、約40年近くの時を経て、二人の像が加えられて19人の全ての像が揃ったことはおめでたいことである。
地元南日本新聞によると、除幕式は9月30日、制作した彫刻家・中村晋也さん(94)=文化勲章受賞者=や二人の子孫ら関係者が集まって開かれたという。
そこでちょっと遅くなったが見に行ってきた。



 下が完成した高見弥一(左)、堀孝之(中央)の像




 薩摩英国使節団は留学などを終えて帰国後、日本の近代化に貢献している。
初代文部大臣 森有礼 
サッポロビール創始者 村橋久成
大阪商工会議初代会頭 五代友厚 などなど日本に有意の人材を送り込んでいる。

 薩摩は何故国禁を犯してまで英国に使節団を送り込んだのか。
それは、文久3年(1863)7月の薩英戦争でイギリス海軍の実力を見せつけられたからだと言われている。薩摩藩は西洋の技術を学びとることが急務と考え藩士たち19名を密航させたものである。





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Last updated  2020.10.21 20:17:19
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