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ジージの南からの便り

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2020.11.01
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カテゴリ:旅行・ドライブ


 佐土原の史跡をめぐり、宮崎駅近くのホテルに一泊。
25日朝、旅にハプニングは付き物と言う通り、9時20分発の都城への「特急きりしま号」の予定が
10時16分発の約1時間遅れで出発となった。



 「都之城址」や「都城島津邱」を訪ねるには都城駅より西都城駅で下車し、タクシーで城址へ。



 都之城址の堂々たるご楼門に到着。感激で感無量!


 
 歴史を語る石垣


 
 内側からご楼門を見る





  門跡
 案内版に次のようにある。
この二つのマウンド直下の位置に直径2,4m 短径1,2mの楕円形の柱穴2基が1,6mの間隔で並んで発掘された。曲輪(くるわ)の西端に位置する門があったと考えられる。 15世紀代



 ここは現在「都城歴史資料館」であるが、当日は休館日だった。 残念
案内板の記述は次の通りである。
             市指定文化財  都之城址
 都之城は都城島津氏(北郷氏)歴代の居城であった。永和元年(1375)二代北郷義久が築城し、元和元年(1615)の一国一城令まで240年の間、本城となっていたところであり、都城市発祥のもととなった由緒あるところである。城の主郭部(本丸)について昭和63年から平成2年にかけて発掘調査を実施し、当時の様子が明らかになった。その中心となる建物(館)は北側(現歴史資料館)に位置していたと思われ比較的大きな遺構が見つかっている。(以上)

 なお、秀吉の朱印によって伊集院忠棟が8万石を支給され、島津忠恒(のちの家久)により忠棟が殺害されたことから忠棟の息子・忠真(ただざね)が反乱し島津氏相手に戦った「庄内の乱」のときには、都之城を本城として戦った。庄内の乱についてはこれまでも「島津一族」などで書いてきたが、最近になって今回も一緒に行ったKくんから興味ある文章を紹介された。それによると「伊集院忠棟が島津忠恒から殺害されたのは、忠恒の一存によるものではなく、義久・義弘を含む一族の総意であったという。それも10年くらい前からその兆しはあった」というものだ。よく考えると諸般の情勢から島津氏が一族をあげてそうしたことを考えるのも当然だなということもあり、謎は深まった気がする。
庄内の乱の史跡は都城にたくさんあるが、今回は時間が無くて行くことは叶わなかった。いつの日にかそれらを訪ねたいものだ。








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Last updated  2020.11.01 13:06:41
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