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木昌1777@ Re:「西郷家の墓地」を訪ねる。親族の墓(03/01) New! おはようございます。大分墓石も古くて変…
悠々愛々@ Re:「西郷家の墓地」を訪ねる。親族の墓(03/01) New! おはようさんさん。 いつも応援ありがと…
mamatam@ Re:「西郷家の墓地」を訪ねる。親族の墓(03/01) 西郷どんの息子さんが一族の墓を自分の家…
蕗さん8256@ Re:「西郷家の墓地」を訪ねる。親族の墓(03/01) 西郷家の墓が 残って良かったですね。年…
wakko-chan@ Re:「西郷家の墓地」を訪ねる。親族の墓(03/01) ん~~歴史がごく身近かにある感じで、す…

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2020.12.29
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カテゴリ:鹿児島の歴史


 去る日、新聞で「磨崖仏を知る、巡る、考える 鹿児島磨崖仏巡礼 vol.2」講座があることを知った。ブロ友で2年前に「鹿児島古寺巡礼」を出版した川田達也さんと、もう一人は自称百姓でブログ「南薩の田舎暮らし」の窪 壮一郎の語らいがあるという。
「鹿児島の磨崖仏を全部網羅したガイドブックを作ろう」というところから始まったプロジェクト「鹿児島磨崖仏巡礼」6月に第1回の報告会を行って(私は不参加だった)御好評いただきました。第2回となる今回もこれまで巡った磨崖仏を紹介しその面白さを自由に語ってみたいと思います。という呼びかけだった。私はこれまで県内の磨崖仏を10数カ所巡っていたので興味があり、今回参加することにした。

 この日は先ず「板碑」の話から始まった。板碑が磨崖仏として彫り込んであることも多いからだろう。
・読み方⇒いたひ・いたび 平安末期に登場した石造物。「板碑」の名称は江戸時代から使われるようになった。
・構造⇒板状に加工した石材に梵字(種字)や被供養者名、供養年月日、供養内容などが刻んである。また頭部に二条線が刻まれる。(例外あり)
・五輪塔や宝筐印塔とは性格が異なり墓塔として使用されることはあまりない。また「板碑」の原型が中国などにないため、日本独自のものと考えられる。
・全国に5万2千基以上あり、そのうち2万基が埼玉県にある。そのほとんどが秩父産の「緑泥片岩」という石で作られており全体的に厚みがない。埼玉県以外の板碑は自然石を使っているものが多く厚みがある。
・造立目的と変遷
12世紀頃:追善供養が目的
14世紀頃:逆修供養が主
15世紀頃から多様化するも数が激減し、16世紀に消滅。  (以上 当日の資料より)
続いて「鹿児島県内摩崖仏一覧」(判明分)として、実に47ヶ所の紹介が書いてある。
これは、今後の摩崖仏探訪に大変ありがたい資料である。これだけでも行った甲斐があったというものだ。

 「板碑」のある代表的なものとして紹介されていたのが、「沢家墓碑群」。
私も以前訪ねたことがあり、当ブログに詳細を書いているが、ここでは当日の資料に基づいて紹介したいと思う。(写真はいずれも訪問時に自分で撮影したものを使用)
 沢家墓碑群は霧島市隼人町にある正八幡宮(鹿児島神宮)の四社家の一つであった沢氏の墓である。
沢氏は八幡宮の領地からあがる年貢を管理する田所職(たどころしき)という役目の家だったといわれる。広さ約61㎡の墓地内に、五輪塔三基と三重石塔一基が建っており、その周囲を長方形に梵字を彫った板碑49枚ほどが取り囲んでいる。
板碑にはいずれも上下に仏を表す梵字が彫られているのが大きな特徴である。(3枚目の写真)
梵字の横には墨で書かれた「南無阿弥陀仏」の文字が書かれているというが、残念ながらこの写真では確認できない。しかし一つ一つの仏名は推定できるものの、全体的な構成の意味はまだ解明されていない。
 下の写真は墓地南側の前面にある梵字を彫った自然石柱三本が建つ。石柱には嘉禎三年(1237)の年号がある。石塔には延応元年(1239)の年号がある。これらの年号から見て、沢家墓碑群は鎌倉時代前期に営まれたものと推定され、当時の「絵草紙」などに描かれている墓地の形をよく残しているものとして価値が高い。また沢家墓碑群は古さに加え、こうした板碑が一ヶ所に多数まとまって残っているのも大変珍しく貴重なものと評価されている。





 次に取り上げてあって私も行ったことのある「清水摩崖仏十六連板碑」。







 下の写真の上方部に写っているが、最上部が写っていない。私が写したときは「十六連板碑」という認識もなく、たくさんの摩崖仏に圧倒されて十六連碑という特別な意識もなかったのであるが、講座を聞いて写真を見て数えると確かに十六連なっている。
 ただ現在は風化してしまっているが、1基づつに梵字が彫られていたそうだ。その特徴から、鎌倉時代の終わりごろの時期のものと考えられている。
上の写真にある永仁4年(1296)の三大宝篋印塔と同じ頃のものだという。



 次に紹介があったのは、私も以前、鹿児島史談会の史跡を訪ねる旅で行った「さつま町」の「下丁場摩崖仏」である。ここは近隣の住民から、お不動さん(不動明王)、と呼ばれてきた。詳細な由来や年代はわからない。構成は板碑15基、五輪塔および数体の仏像からなる。
昭和36年(1961)の元大谷大学教授・斉藤彦松氏による現地調査のおける梵字解説によると、右半分が鎌倉期の第一群、左半分が室町期の第二群とされた。
 市来家隆氏の推定によると興国2年(1339)長野城主渋谷千代童(重?)丸が高城石見権守一族に攻められた時の戦没者追善のためにたくられたものではないかとも言われている。







 その他、「稲葉崎供養塔群」「紫尾神社の方柱石塔婆」「七人山磨崖連碑」「阿弥陀殿の岩仏」
「竜ヶ城摩崖一千梵字仏蹟」の紹介もあったが、私が訪ねたこともないので、今後訪ねてから紹介したいと思う。いずれにしても県下の摩崖仏をたくさん知ることが出来て、いい一日となった。






Last updated  2020.12.29 08:20:32
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