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カテゴリ:西郷隆盛
![]() 別府晋介 1846~1877(明治10年9月24日没 享年31) 鹿児島県吉野村実方で別府十郎の第2子として生まれる。名は景長(かげなが)、通称は晋介。 西郷隆盛が廃藩置県に備えて兵を率いて上京したとき、小隊を率いて従い、御親兵に編入され、次いで近衛陸軍大尉に任ぜられた。 陸軍在職中は、士官以下、軍曹、曹長と官俸を平均に分配し、士卒と苦楽を共にした。いわゆる征韓論に敗れたといわれる西郷が帰鹿すると、少佐の職を投げうって鹿児島に帰った。私学校の育成に尽力する。鹿児島では西郷のそばを離れず、9月24日の官軍総攻撃に際しては共に岩崎口へ迫撃する。足に重傷を負っていたため輿で従った。西郷が流れ弾に当たると、輿から下り、西郷から「晋どん、ももこらでよかじゃなかろかい」と言われ西郷を介錯した。桐野利秋とは従兄弟だったが、真の兄弟以上だったという。 ![]() 桂 久武 1830~1877(明治10年9月24日没 享年48) 島津久風の第5子として生まれ、桂久徴の養子となった。明治3年鹿児島藩権大参事となり、西南戦争では大小荷駄本部長。出兵したあと4月鹿児島に戻り、輜重(軍隊で、前線に輸送、補給するべき兵糧、被服、武器、弾薬などの軍需品の総称のこと)、募兵に尽力した。桂久武が書いた「桂久武日記」は幕末維新史の重要な史料の一つとして知られる。 西南戦争には参戦するつもりはなかったが、出陣を見送りに行って、翻意しそのまま出陣する。城山の最後の戦いで流れ弾に当たって戦死する。 ![]() ![]() 参考資料 「あるく みる いこう かんまち本」 上町維新まちづくりプロジェクト wikipedia 桂 久武 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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