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ジージの南からの便り

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2021.01.29
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カテゴリ:エッセイ
このエッセイは2007年(平成19年)、今から14年前に書いたものである。
もうそんなに昔のことだったのか、と今更ながら懐かしい思い出となってしまった現在だが、紹介したい。

            ♫   島育ち  ♩ ♬

 最近よく車の中で聞くCDがある。去る3月3日鹿児島市の宝山ホール(鹿児島県文化センター)で開催された「第一回かごしま夢舞台」支援事業として開催された奄美大島の女声合唱団「ラ・メール」公演のCDである。この公演は優秀な技能を持ちながら、日頃いろいろな事情により鹿児島での発表の機会の少ない団体を県文化振興財団が支援しようということで始められたものと聞いている。

 その第一回の幸運を引き当てたのが「ラ・メール」だった。
2005年5月私の所属する今では鹿児島で唯一の男声合唱団「楠声会」(なんせいかい)の奄美公演のとき、賛助出演をしていただき、チケット販売などで大変お世話になった合唱団である。ここは少しでもご恩返しをということで今度は我々の賛助出演となったのだ。

 当日の宝山ホールは開場前からかってないほどの人で溢れかえり、聴衆の皆さんに予定時間を早めて入っていただいたほどである。恐らく多くは鹿児島在住の奄美大島出身の方々だったと思われる。石川啄木の「ふるさとの訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聞きにゆく」というのと同じような気持ちだったのだろう。懐かしい故郷への想いと息遣いを楽しみに集まってみえたにちがいない。舞台袖から見た会場は開演前から熱気に溢れていた。

 演奏はオープニングの「海よ」に始まり 一部 日本の叙情 の9曲、 二部 楠声会の6曲、
三部 女・想い の組曲「金もくせい」 そしていよいよ特別出演の島唄界の若きホープ、民謡連続2年日本一の中村瑞希さんの登場である。島唄2曲の美声に会場全体が酔いしれた。そしてアンコールの拍手に応えて唄ったのが御存じ「島育ち」である。唄者・中村瑞希さんの三線(さんしん)と唄にピアノも加わり会場全体が大合唱となった。いつの間にか指笛の名手も加わり会場は興奮の坩堝(るつぼ)と化した。おそらくこの日一番会場が一体となって、盛り上がった時ではなかったろうか。ふるさとを離れ、今ふるさとの仲間たちをここに迎えて懐かしいふるさとの唄を歌える。そういうことをかみしめながら一緒に歌っておられたのではないかと思う。今、ボリュームをいっぱいあげながらCDを聴いても皆さんの想いが伝わってくるようで私も思わず涙が溢れてくる。

 この想いは奄美大島と少なからぬ縁ができた私だけの想いなのだろうか。
そして興奮も冷めやらぬ四部 うなり神の島にありて が始まる。唄者・中村瑞希さんも加わり、このステージこそ「ラ・メール」の女(ウナリ)神たちが真髄を披歴した場ではなかったろうか。この日の演奏会のタイトル「´奄美の風´を歌う」にふさわしい島唄の合唱編曲やオリジナル曲などまだ肌寒かった鹿児島に、しばし南の風を運んでいただいた気がした。

 奄美大島と我が家との縁・・・。それは娘婿のお父さんの出身地が奄美大島の笠利町であることから始まった。お父さんも婿も二代続けて先生である。そのため娘一家4人が2005年3月までの4年間奄美大島に赴任していたので、私たち夫婦も奄美に数回訪れることができた。「ラ・メール」のメンバーの中にお父さんの同窓生がおられたり、また娘たちがお世話になった方もおられて演奏会後のパーティーで挨拶を交わしたりして益々縁が深くなった気がする。  (2007年5月記)





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Last updated  2021.01.29 15:19:12
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