|
カテゴリ:鹿児島の歴史
鹿児島城(鶴丸城)から本丸の表門である「唐御門」の礎石が発見されたという記事が先日の南日本新聞に掲載された。このニュースの少し前には、島津斉彬を祀る照国神社の横から城山に向かう遊歩道の斜面に「大手門」の跡が発見されたというニュースも報道された。新聞による概要は次のようである。 昨年復元された「御楼門」と」「大手門」、それに今回の「唐御門」で江戸から令和までの鹿児島城の歴史を物語る三つの「門」がそろい踏みした。 唐御門については県立埋蔵文化財センターが昨年末から調査していた。礎石は凝灰岩製で縦横約60センチ、厚さ50センチ。上面に柱が立ったとみられる30センチ四方のくぼみがあり、その中央に縦横13センチ、深さ6センチほどの穴が開けられていた。穴には明治初めに焼け落ちた際のものとみられる炭が残っていた。 鹿児島城の唐御門は、大きさや構造など詳細は不明。今回出土した礎石も主柱のものか、脇柱のものかは判断がつかないという。1月に出土し現在は埋め戻されているという。 唐門は屋根にアーチ状の唐破風(からはふ)で装飾された門で、二条城(京都市)や日光東照宮(栃木県)のものが知られる。鹿児島城の門は江戸時代の絵図などから正面に唐破風が付いていたとされる。 御楼門が復元される前の入口の橋 橋の先に復元された御楼門 突き当りを右折してその先の階段を上った所に「唐御門」があったようだ。 私がこれまで写した中に、そのものズバリの写真が見つからなかったが、石垣の左際に見えるの2本の柱の辺りに唐御門あったそうである。この門柱は左右に長短2本づつある。この門柱は旧制第七高等学校のものである。七高は明治34年に創設している。今回その校門そばから礎石は出土した。 なお、この中にあった本丸跡には鹿児島県歴史資料センター・黎明館がある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[鹿児島の歴史] カテゴリの最新記事
こんばんは。歴史的なことは分かりませんが、チョット行かれる場所にこんな素晴らしい所がありまして羨ましいです。城とか、庭園、木々など見て歩くのは大好きです。コロナ宣言関係なく毎日でも行ってますね。コロナも鹿児島県は0人。東京は300名を越しています。コロナがなければ春の旅行シーズンで、ここのあたりは人で一杯でしょうね。
(2021.03.05 20:19:17)
今晩は 長らくご無沙汰致しまして申し訳ありませんm(__)m
鶴丸城の 唐御門 凄い礎石が 見付かったのですね!! 何れにしても 素晴らしい 実際に 眺めてみたいですものです。 最近は出歩く事が少なくなっので、脚がしっかり伴なわないので 困っています、故事来歴についても、沢山知りたいものです(^^♪ (2021.03.05 21:05:01)
歴史を刻む 遺跡が 少しづつでも 見つかると 検証しながら 一つづつ
見て行くと良いですね。大切にして欲しいです。 (2021.03.05 21:17:08)
立派なお城の様子を思い出すよすがが見つかって、益々
鹿児島のご先祖様への探求心が湧きますね。 わたしも楽しみです。 例の本、9割かた読破、もうちょっとです・・・(苦笑) (2021.03.06 17:19:42)
何と立派な礎石が・・・長崎の元県庁後、そこは長崎港を見張るお奉行所みたいなところでしたが、そこも発掘されてやはり石組みなどが出てきていました。でもこんなに立派ではありませんでしたけど。今後そこがどうなるのか、私はまだ知りません。でも長崎市の、馬で言ううなら背骨に当たるようなところで、これからどんな使われ方をするのだろうと興味があります。
長崎にはお城がありません。お殿様もいませんでしたので、町人文化・・? クマタツさんみたいに私も長崎の事をもって知らなければならないと思いました。 (2021.03.06 19:04:06)
|