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ジージの南からの便り

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2021.03.17
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カテゴリ:西郷隆盛


 「西郷隆盛御座石」を後に、向かったのは坊野上にある「西郷殿屋敷跡」。
ここを知ったのは、昔読んだ 阿井景子著「西郷家の女たち」(平成元年・1989年8月10日 第一刷)の「あとがき」(昭和61年・1986年書いている)を読んでからである。
そこには概略次にようなことが書いてある。

 「そんなところに行っても、何もないのでは・・・・・・」
”坊野(日置郡吹上町)に行く”という”私に、鹿児島ではあやぶむ声もあった。
しかし私は鹿児島取材を思い立った時から坊野・西別府をコースに組み入れていた。

 あとがきはこのような書き出しに始まり、「坊野」に行きたいと思ったのは、文献に西郷家に仕えた女中・よしの家がそこにあるというのがわかったからだ。すでに吹上町役場の佐土原さんには連絡済みで南日本新聞の高柳さん(「西郷隆盛伝・終わりなき命」の著者で後に西郷南洲顕彰館館長)が同行してくださる段取りがついていたとある。
吹上町では佐土原さんの案内で「よしの家」に案内され、よしの子孫・黒川ゆきえさんから吉之助(隆盛)やいと(隆盛の妻)の話を聞くことが出来た。
ゆきえさんは、西南戦争の時、いとが女・子供たちを連れて避難した当時の場所に住んでいた。
下の案内板にあるように西郷はよし夫婦に家を一軒建ててやったが、よし・仁太夫婦は西南戦争後その家は売ってしまっていた。その理由をゆきえさんは「広か家なので、西郷さんの魂が籠っているようで、こわかったとおばあちゃん(よし)が言うておりました」と語ったそうだ。「よしさんが売った西郷さんの家は、この山の上のほうに残っていますよ」前もって調べてくださっていた佐土原さんが、舗装の切れたデコボコ道を誘う。「あの家でしょうか」高柳さんの車を下りた私は、竹藪に囲まれた家を指差した。
「あんなものではないでしょう」高柳さんは言下に否定し、「西郷さんが建てた家ですから、きっと立派だと思いますよ」と言う。道路から細い坂道を上がると、山を切り開いた場所に二軒の家がみられた。
佐土原さんがその一軒に近づいて行く。なるほど高柳さんの言葉通り、吉之助がよしに与えた家は立派で堂々としていた。百十年の歳月が感じられぬほど真新しく、がっしりしている。「手を加えられたのですか」「いいえ、土間を少し広げただけで、むかしのままです」住んでいる婦人は、西郷さんの家とは知らずに、私の問いに答えた。

 以上の他に、この後、鹿児島市内の西別府の西郷さんの野屋敷を訪ねたことが書いてある。
これを数年前に読んだ私は、特別な感慨を持つこともなかった。しかし、先日来、Kくんから回してもらった井口富雄さんの「史跡ひとり歩き」を読む中で私が昔住んだ鹿児島市武町にあった「西郷屋敷」の写真を見て、そこに住んだ人々の事を思い「西郷家の女たち」を再読した。
そして驚いた。なんと「よし」の家が親交のある「本〇どん」の住む吹上町永吉だという事実である。
そこで、よしの家が現在もあれば、訪ねてみたいと思い、本〇どんに詳細を書いてメールした。
日を置かず返信がきた。地元の事ゆえもちろんご存じのことであり、いつでも案内しますという嬉しい知らせだった。私は「高校同期歴史同好会」のメンバー3人に呼び掛けて、この「永吉史跡めぐり一日旅」が実現した。当日はMくんが車を出してくれるということでMくん宅を午前8時に出発したのだった。

 ほん〇どんの話によると、この「西郷隆盛開墾の碑・手水鉢」のところにある家はよしの家だが、西郷さんがプレゼントした家は柱野にあった。今はもう壊されているとのことで、見ることは出来なかった。
                         (西郷隆盛開地の碑)


 西郷さん手づくりの手水鉢



 同じ場所ある昔の家は空き家になっている。








 上の写真にある西郷隆盛手水鉢(西郷屋敷跡)・開墾の地は坊野上にある。
西郷さんがよしにプレゼントした家は柱野にあったが、現在は壊されていた。






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Last updated  2021.03.17 14:22:28
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