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ジージの南からの便り

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2022.02.09
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カテゴリ:男声合唱

昭和35年(1960)7月9日、私たちK大学男声合唱団・フロイデ コールは種子島の西之表港に降り立った。時に私は3年生、21歳だった。大学の夏休みが小中高校より10日早く始まり、後期授業も10日遅く始まるので7月11日~20日、9月1日~10日を基本に毎年2回各地を回って学校や地域のホールなどで演奏会を開いていて、この年の前半の演奏旅行が種子島だった。私にとっては初めての船旅で鹿児島湾(錦江湾)内では船酔をすることもなく、楽しく過ごしていたが外海に出た途端に船が揺れはじめ、暑い甲板に伏せてたままで昼の弁当も食べずやっとたどり着いたという感じだったのを覚えている。

 船を降りてしばらくすると気分も良くなり、西之表市の高台にある榕城小学校へ向かった。ここの講堂に19日まで寝泊まりをして小学校、中学校、高校を巡回しながら演奏し、何回かは夜の公会堂などでの演奏会も開いた。エッセン長(材料を調達し、当番の食事係を指揮し調理する責任者)のもと11日間の食事も全て自分たちでつくる過酷? な日々が始まるのだ。

 種子島に落ち着いてまわりを眺めると、遥か西方海上(東シナ海)に下の写真のような風景を見た。
後で調べると西之表市から12km先の海上にある「馬毛島」だという。私はこの風景を見て、すぐに「希望の島」(のぞみのしま)だ! と思った。

                    (上の写真は西日本新聞から)
 当時も私たちフロイデコールが歌っていた「希望の島」の歌詞の通りの島だと空想したのだ。
この歌は、フロイデ・コール創立50周年記念 「輝ける青春の記録」・・・定演50年のすべて・・・
を紐解いてみると、私が小学4年生だった昭和24年11月2日 鹿児島市中央公民館打開催された第一回演奏会の第一ステージの第一曲目に歌われている歴史的な歌でもある。そのあと第四回、第八回定期演奏会でも先輩方が歌っている。私は昭和33年入学だが、卒業するまで定演で歌った記録は残っていない。ただ、この歌は当時もフロイデコールの愛唱歌として先輩から後輩へ歌い継がれてきた歌の一曲であり、私の現役時代も演奏旅行やその他いろいろな演奏会で歌ったし、演奏会のあとのストームや打ち上げで歌って気分が盛り上がったものだ。


 その思い入れの強い私の「希望の島」”馬毛島”が現在大変なことになっている。
種子島は鹿児島市南方115Km。その西方海上の馬毛島の面積は8,2K平方メートル。
西之表市馬毛島への米軍空母艦載機陸上離着陸訓練(FCLP)移転と自衛隊基地整備計画がもちあがり、丁寧な地元への説明がなされないまま設備の入札などが一方的に行われ、基地反対を唱えて再選された八板市長は外堀を徐々に埋められて苦しい立場に立たされている。そういう中で米軍再編交付金の交付や自衛隊員の居住について「特段の配慮」を求める要望書を岸信夫防衛相に提出した。外交や軍事に関する事項は政府の専権事項たされる中ではやむを得ないことなのか。
いずれにしても、「希望の島」”馬毛島”が平和の島であるように祈念しながら見守るしかないのが現状で
ある。
(残念ながら私たちの歌った「希望の島」はYoutubeにない。「川西メンネルコール」のもを拝借した)





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Last updated  2022.02.09 18:13:01
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