|
カテゴリ:鹿児島の歴史
![]() 今日は県のコロナまん延防止が3月6日に解除されるというニュースもあり、何よりも春らしい陽光に誘われて、2年越しになっている市役所へのある手続きを思い立って久しぶりにバスに乗って街に出かけた。前回までの手続きは書類をもらって帰り様々な家族内(兄弟間)の調整を図った上で提出するという段取りを踏んできたのだが、前回までがスムーズに進んだこともあり、今回はその必要もなく、女子吏員さんに丁寧な応接をしていただき15分くらいで手続きが終了した。 すっかり気分良く解放された私は、久しぶりに市内の歴史的なモノを見て回ろうとデジカメ片手に2時間以上歩き回ってきた。そこで今日は鹿児島市内に残る4つの建物を紹介したい。 上の写真は今日行った「鹿児島市庁舎本館」 建築当時は、全国の市庁舎でも数少ない構造と規模であったという。 建築様式は近世式で、中央の塔(3階)前面の垂直リブが垂直線を強調し、頭部の四角い垂直方向の連続窓がモダンな印象を与えている。昭和12年(1937)に完成した。平成10年(1998)、国の有形文化財(建造物)に登録された。 下の倉庫の写真は住吉町に現存する「石倉倉庫群」の一部である。 弁天町、汐見町(現在の泉町)、築町(名山町の一部)、住吉町の一帯は安永年間、文政年間に埋め立てられ、明治末期に倉庫業が盛んになった。 ![]() 大津倉庫 竣工は大正14年(1925)とされる。味噌醤油などの醸造業に使用する樽を保管していたといわれている。この倉庫は元々2階建てで柱には床梁を差した痕跡が認められるという。 ![]() 南日本銀行本店 昭和12年、鹿児島無尽株式会社鹿児島支店(金融期間)として建設。鉄筋コンクリート造り6階建。 その後、旭相互銀行から南日本銀行となる。巨大な列柱(コリシャン・オーダー)が目を引く。 建物の様式は、ルネッサンス様式と分離派様式との混合様式であり、近代から現代への過度期の作品である。礎盤・柱心・柱頭を有する部分と、この柱が支えるの軒部分を含んだオーダーと呼ばれる列柱部分はコリント式であり、3階まで突き通っている巨大な列柱(コリシャン・オーダー)は豪壮な様相を呈し、建築学上貴重な存在である。なお、上層3層部では、分離派様式が用いられている。 設計は元鹿児島県技師の三上昇氏。造詣の模範になっているとして、平性10年月11日に登録有形文化財に指定されている。 ![]() デパート「山形屋1号館」 創業者・岩元源衛門は山形県出身で山形特産であった「紅花仲買」を始め主に大阪、京都を中心に「呉服太物行商」を行っていたが、薩摩藩主・島津重豪(しげひで)の商人誘致策を機に家族を引き連れて薩摩入りした。安永元年(1772)城下の木屋町(現在の金生町)に移住し山形屋が誕生する。 その後、大正5年(1916)、ルネッサンス式鉄骨鉄筋コンクリート(地下1階、地上4階)の新店舗が誕生する。戦禍により被災するも増築や2号館の完成などを経て平成10年(1998)再びルネッサンス調のデザインに一新された。 参考資料 「天文館史蹟めぐりマップ」 「鹿児島市 史跡めぐりガイドブック」 鹿児島市教育委員会 「ゆめみなと鹿児島 鹿児島港の歴史遺構」 他 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[鹿児島の歴史] カテゴリの最新記事
|