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カテゴリ:鹿児島の歴史
![]() 先日鹿児島市照国町にある「ザビエル記念聖堂」と「ザビエル公園」を訪ねた。 ここは鹿児島市一の繁華街・天文館通りを西に城山の方に向かって歩くと、変則五差路がある。交差して南北にのびる道が藩政時代の千石馬場である。当時は花岡島津家・伊勢家など、家禄1000石級の家老の屋敷があったあったことからこの名が生まれた。そして参勤交代の街道でもあった。 千石馬場を南に2分ほど歩くと、右側にザビエル教会(ザビエル記念聖堂)がある。(上の写真) ザビエルは天文18年(1549)鹿児島に上陸した。上陸地点は稲荷川の河口付近と考えられ埋立地の祇園之洲町にザビエル上陸記念碑がある。鹿児島出身で日本人初のキリスト教徒といわれるヤジローとジョアン・アントニオらが案内したと言われる。ときに戦国大名・島津貴久(15代当主)は、伊集院(国分説もある)の一宇治城にいたが、キリスト教布教の許可を与えた。日本における布教の第一歩である。ヤジローの親戚などたちまち数百人が信者になったという。 旧ザビエル教会・旧聖堂は明治44年(1911)建設されるが、昭和20年(1945)世界大戦の空襲で外壁だけを残して焼失した。昭和24年(1949)ザビエル上陸400年を記念してローマの寄付をもとにしてザビエル聖堂を再建した。木造建築で赤い屋根の聖堂だったが老朽化のため解体し、渡来450年を記念して平成11年(1999)新しいモダンな聖堂が竣工した。 その後、平成13年(2001)5月12日「パイプオルガン開設記念コンサート」が開かれて私たちの男声合唱団・楠声会も演奏した。クリスチャンでもない私がザビエル教会に初めて行った日になった。 その後、妻も所属する女声合唱団・シャンテ・メールもここで2回演奏会を開催したが私も聴衆の一人となった。 ザビエル記念聖堂の道路を挟んでザビエル公園がある。 そこには「ザビエル渡麑記念碑」(ザビエルとげいきねんひ)がある。 広い公園になっていて、昼休みなどここで弁当をたべる人など市民の憩いの公園になっている。 私が訪ねた日は修学旅行の学生さん女2人、男2人の4人のグループが熱心に見学していたが、最近流行りのグループでの見学だろう。その中の女子学生から「ザビエル記念聖堂」はどこですかと聞かれて道路向かいの教会を教えることだった。 ![]() ![]() フランシスコ・ザビエル像 ![]() 参考資料 「鹿児島県の歴史散歩」 鹿児島県高等学校歴史部会編 「鹿児島市 史蹟めぐりガイドブック」 鹿児島市教育委員会 「天文館 史蹟めぐりマップ」 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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