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ジージの南からの便り

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2022.06.27
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カテゴリ:Tくんの物語
Tくんの銀行生活も3年くらい経った頃、銀行では支店を新築し移転しようという話が出ていて、賑やかではあるが駐車場もない京町銀天街から馬借町(ばしゃくまち)への移転ということで建設が始まった。
Tくんは、出納・会計の仕事から預金係へ移動し、銀行の仕事にも次第に慣れていった。
支店には支店長、次長の管理職と出納・会計係、預金係、貸付係、渉外係、整理係(貸付金が倒産などで焦げ付き回収できなくなった金を取り立てたりする係)それぞれに係長がいて、その下にそれぞれの仕事に応じた人員が配置されていた。小倉支店は総員で24,5名だったと記憶している。

                                                                     (写真はネットから借用)

 その間、彼女との関係も順調? に進んだのだろうか、すったもんだした事もあったような気もするがデートを重ねたり、彼女の仕事がH家電販売の電話交換手だったので業務終了後の事務所から電話を架けたりするうちにい、いよいよ結婚ということになる。私が25歳、彼女が22歳の昭和40年11月23日、勤労感謝の日が結婚式であった。結婚式は北九州市小倉北区にあった「新小倉ビル」のホールを借りての簡略化したもので、コーラスの仲間たちなどがが実行委員会を作ってくれての人前結婚式である。実行委員長は同僚であり男声カルテットの仲間でもあったMくんが引き受けてくれた。
人前結婚式は賑やかで私もトップテノールで歌ったフォーガイズなどの歌の演し物、最後は私と彼女の二重唱「赤とんぼ」で締めくくったような記憶がある。
もちろん私の親族や彼女の親族も出席してくれたが、普通の結婚式とは異なり、紅茶とケーキという簡単なものだった。私の親族は結婚式が終わった後、小倉駅近くのレストランで結婚式の当事者のいない「会食」をしながら「お腹の空く結婚式だった」と笑いあったそうだ。

 当時は結婚すると富野にあった社宅に住むようになっていたが、その時は社宅に空きが無くて、南小倉のアパートを借りることにした。家主はお客様だったので、喜んで貸していただいた。しかし、そのアパートには一年も住まないうちに富野の社宅に引っ越すことになる。木造の二軒続きの古い家で風呂は石炭で沸かしていた。しかし、隣に住むKR先輩にも恵まれて夫婦とも気兼ねなく住むことができた。
貧乏な私たちはカラーテレビどころか、白黒テレビもコーラス仲間から安価のものを世話してもらってやっと持ち始めたこの頃、世間ではカラーテレビなるものが普及し始めた。隣のKRさんは早速買われた。
ちょうど前田武彦と芳村真理司会の「夜のヒットスタジオ」が始まった頃で、KRさんが、その時間になると窓から顔を出して「クマタツさん、テレビを見ませんか」とお誘いをいただき、夫婦で見に行ったものだ。当時は歌謡曲全盛の時代だったが、「夜のヒットスタジオ」はそれまでの歌番組とは一味違っていた印象がある。今でも記憶にあるのは伊藤ゆかり・恋のしずく、中村晃子・虹色の湖、ゆうべの秘密・小川知子、ブルーライト・ヨコハマ・いしだあゆみ、恋の奴隷・奥村チヨ、恋の季節・ピンキーとキラーズなどなどである。歌謡曲も大好きな私にとってカラーテレビで見る歌は至福の時間であり、今になっても忘れることはない。                    「Tくんの物語」6回目
次回は銀行最後の勤務から転職への動きを書く予定である。





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Last updated  2022.06.27 21:20:45
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