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カテゴリ:鹿児島の城と麓
![]() 去る11月5日(土)、絶好の秋晴れのもと鹿児島城の「御楼門2階特別公開ツアー」に行く幸運に恵まれて妻ともども行ってきた。 この日にのことはブログの読者・yさんからメールを戴いて知り、すぐに応募した。当日の県の文化財課の担当者のお話では、50人の定員に対し300人の応募があったそうで私たちは1/6の幸運に恵まれたことがわかった。ただ、応募者が予想以上に多かったので30人の追加参加者を入場させることになったそうである。80人を10人づつのグループに分けて私たちは14時から30分のコースであった。 yさん親子は14時30分からとのことで入口で交差して挨拶を交わしただけだった。 鹿児島城は、初代薩摩藩主・島津家久が関ケ原合戦直後の慶長6年(1601)頃に築城を始め、慶長末年(1615)頃にほぼ完成したとされている。 元々、人を以って城となすという考えだったのか天守閣はなかった。その中で本丸は明治6年(1873)の火災で、二の丸は明治10年(1877)の西南戦争でそれぞれ焼失してしまった。 それから147年ぶりの令和2年(2020)御楼門が復元され今回の2階特別公開ツアーとなった。 当日は「鶴丸城フェスティバル~霜月の宴~」と称せられ城内で様々なイベントも開催されていた。 先ずは御楼門に近づくと甲冑姿の侍に迎えられて一緒に写真を写せるサービスがあった。 聞くとこの「薩摩甲冑隊」の皆さんは20kgの鎧を着けて島津義弘の関ケ原の敵中突破を今に語り継がれる「妙円寺詣り」に20kmくらいの道のりを歩いて行くそうだ。 ![]() ![]() ![]() ![]() 建設途上では一般公開されていたので私も2回見に行ったが、御楼門建設では継手(つぎて)や組手(くみて)を用いて木材を繋ぎ、敷梁(しきりょう)は、手斧(ちょうな)仕上げするなど、随所に伝統的工法用いて建てていた。 ![]() 右下の建物は「門番所」である。 ![]() ![]() ![]() 2階部分の撮影は禁止されていた。 下は翌日の南日本新聞に掲載された写真を借用した2階部分だが、私達見学者もヘルメット着用の上での見学であった。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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