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ジージの南からの便り

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2020.09.27
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昨夜は久っかぶいの「飲ん方」だった。
これは、かごっま弁であり、標準語風に言えば、久しぶりの「飲み会」ということ。

 先日、当ブログに楠声会の「会報」への投稿文のことを書いたが、その会報の編集委員の打ち上げ会として開催されたものだが、私たち投稿者にもお呼びがかかった。飲めない私だが「飲ん方」の雰囲気は昔から大好きなので、酔っぱらいの中に入っても現役時代も一向に臆することなく付き合ってきた。

 昨夜はやや短めの2時間くらいの時間だったが、飲むほどに酔う程に久しぶりに談論風論留まるところを知らない有様だった。
時間を見計らった幹事が「こういう世の中ですから、ぼつぼつこれで終わりにしましょう。皆さんこれから夜の天文館(鹿児島一の繁華街)をウロウロしたり、カラオケなどに寄ることなく真っ直ぐ帰りましょう」ということでお開きとなった。しかしその後の幹事の行動は一切知らない。

 私は同じ方向に帰る仲間とバスに乗って真面目に帰路についたのは言うまでもない。







Last updated  2020.09.27 19:16:58
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2020.07.09
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新型コロナ パブクラスター100人
  発生1週間 県内12市町

 今朝の地元 南日本新聞の見出しである。
6月30日までは、11人止まりだった「新型コロナ感染患者」が7月1日、40代女性が感染! という一報からその悪夢は始まった。私はテレビでそのニュースを見て一瞬身体に緊張が走った。

「ああ、またきたか。大きなことにならなければいいが」というのがいつものことである。
それまでも散発的に患者発生はあったが、大きなことにはならなかった。それでも高齢の私たちには、そのニュースにはいつも緊張を覚える。

7月2日から発表される数字は20人を超える日が多く、昨日8日に至り、パブクラスターは直接店を訪れた人、その接触者、さらに次の接触者と次々に広がり、ついにパブクラスターが100人に達したということだ。中には病院関係者や大学生、高校生も含まれており、デパートの休業、学校の休校など社会に大きな影響を与えている。

 昨日までのクラスター100人の他に同じ7月1日以降昨日までに何故か感染経路不明の感染者11人も発生している。つまりわずか8日間で111人の発生を見たことになる。
コロナ騒ぎ発生の当初からは122人という人数である。

 この騒ぎの影響で7月5日(日)から練習開始が決まっていたコーラスの練習もいつ再開できるのか見通しが立たなくなった。我慢、ガマン、がまんの毎日が続く。






Last updated  2020.07.10 07:06:05
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2019.10.12
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予報通り来るのか、来ないのか、気をもんでいます。来ないことを祈りながら。            朝から某公共放送は台風状況放送一色ですし、先程から某民放も2局が台風状況の放送に切り替わりました。

 昔から「台風銀座」と言われた当地には、最近は大きな台風や大雨が来襲せず、正直ホッとしています。が、地球の温暖化のせいなのか科学に弱い私にはよくわかりませんが、この数年は大雨も台風もこれまでの常識を覆して、日本全国どこに被害をもたらすかわからなくなってきましたね。

 今日も千葉県に竜巻状のものが吹き荒れて、大きな被害をもたらしたとか、荒川の水位が危険水位を超えたとか、悪いニュースばかりです。

 しかも、時間的にはこれからが危ない時間になるようです。
どうぞ、気をつけてお過ごし下さい。何事もないように祈念しています。






Last updated  2019.10.12 17:02:07
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2018.09.10
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2,3日前から右目の涙腺辺りが痒くなり、今日は病院に行って来ました。
病名はハッキリ言われなかったのですが「お薬手帳」には「細菌による感染症を治療する抗生物質の点眼薬です」と書かれています。

 治癒するまで、ブログを休みます。皆さんへの訪問もしばらく出来ないと思います。






Last updated  2018.09.14 20:29:29
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2015.07.08
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 霧島市の城山公園にある「国分郷土館」の近くに「十三仏」はあった。
それが、まれに見る貴重なものだとは聞いていたが、説明板にある通り、大変珍しいものだということを実感した。

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 十三仏のうち、三仏だけ写真に写してきた。
虚空像菩薩である。

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大日如来である。

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 普賢菩薩である。

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 説明板にある他の場所を調べると薩摩川内市入来と樋脇町、さつま町佐志、湧水町般若寺跡、出水市野田、霧島市隼人町菅原神社の磨崖仏などにあることがわかった。これらも少しづつまわってみようと思う。






Last updated  2015.07.08 11:43:41
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2012.10.18
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 少し考えるところがあり、しばらく休止します。
ご愛顧ありがとうございました。






Last updated  2012.10.18 20:20:19
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2012.02.16
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 2月12日、日置市の吉利麓の小松墓所や菩提寺、武家門などを見学したら12時を過ぎていた。だが3時までに帰ればコーラスの練習にも間に合う。このまま帰るにはもったいない。
そこで再び南下し、“かめまる館”で野菜など買い、隣接のそばやでうどんをかき込む。
そこから亀丸城跡をめざす。ここの入り口は車で通る度に見ていたので、県道谷山伊作線より中に入る。しかしここからが思ったより距離があった。もっとも山城だから、入り込むのは当然といえば当然である。道を間違ったな?と思うころ看板のある“憩いの森”駐車場に着いた。
車が20台くらい駐車できるスペースがあり、トイレも完備されている。
ここから案内版に従って「山之城跡」へ。                      IMG_4069.JPG

 登ってみたが、今はもう山の上の平野(荒地)にすぎない。もちろん曲輪ははっきりした形のものを見ることが出来た。ここを下り駐車場を抜けて少し下るとやっと「亀丸城跡案内版」を見つける。
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 そこから空掘(からぼり)を通って本丸である亀丸城跡に登る。
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 登り口から奥に進むと案内板と石碑がある。
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 では、この伊作城(亀丸城)はどういう城だったのだろうか。
ここは島津家中興の祖ともいわれる島津忠良の城であったことはよく知られているが、フリー百科事典ウィキペディアによると「日置市吹上町中原に残る中世の山城、県指定史跡
本丸は亀丸城と称した。南北朝時代に島津氏の分家伊作家の城として築かれたと考えられる。その頃は『中山城』と呼ばれていた。戦国時代にはここを拠点として島津忠良が南九州統一に繰り出し、戦国大名島津氏雄飛のきっかけとなった城でもあった。元和の『一国一城令』で廃城になった。最盛期には南北750m、東西1050m城域全体の面積は50万平方メートルという広大な規模を誇っていた。亀丸城の他に『山之城』『蔵之城』『花見城』『御仮屋城』と6つの曲輪(くるわ)が設けられていた。この城は島津貴久、忠将、尚久の忠義の3人の息子、そして島津義久、義弘、歳久、家久の島津四兄弟の誕生地であり、記念の石碑が残っている。」と書かれている。
 また「島津家おもしろ歴史館」(尚古集成館)によると、「島津忠良は戦国島津氏の事実上の祖」と言っている。

 実際、忠良の嫡子・貴久は代14代島津当主勝久の養子になり、第15代当主となって、薩摩を統一している。またそのあと、貴久の嫡子・義久は16代当主、次男義弘は17代当主、そして義弘の3男家久は義久の養子となり、18代当主になっている。

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 最後の写真は、善久、忠良、忠将、尚久の誕生石である。
亀丸城跡を下りて蔵之城跡へ行く。ここも木々が生い茂り平たい広場になっている。

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亀丸城を下りた道路沿いにも土塁が残されている。

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 帰り道に武家屋敷跡と思われる石柱の門を見かけた。
ここ伊昨麓には立派な武家門など沢山残されているとのことだが、今回は時間がなくなり、そこまで行けなかった。いずれまた訪れたい。

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Last updated  2012.02.16 15:36:08
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2011.11.25
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 10月4日当ブログに鹿児島市武にあった島津墓地は佐志島津家のものだろうと書いたが、その後も史料を調べる中で、そうではないという新しい発見があった。

 ただ当初から書いている佐志島津家の墓地が笑岳寺墓地にあったろうことはこれまで色々調べて書いてきた通り間違いはない。ただ一般の墓とどういう折り合いをつけていたのかは、まだ調査中である。関係者にたづねたり、メールを入れて問い合わせもしているが、なかなか決定的なことは未だ分っていない。

それでは、武にあった島津墓地はどういう墓だったのか。
それは昭和49年2月20日 武小学校PTA郷土誌刊行委員会発行の「武郷土誌」に詳しい。
それによると、「西鹿児島駅裏口を西方に行き、武岡の麓に寿国寺の跡があるが、そこに島津家の墓地がある。武町の人は『島津どんの墓』といっている」とある。寿国寺跡(明治2年廃仏毀釈により廃寺)の場所を色々調べてみると、武2丁目47番付近となっており、その場所は2011年「武・田上地域ガイドマップ」にも場所が明記されている。その場所というのが常盤トンネルと新幹線トンネルの間にあり、私のこどものころの「島津どんの墓」とも一致した。

 同誌によると「島津どんの墓」を49年当時たづねてみたら、「墓の礎石はあったが墓石はなかった。付近の人の話によると、昨年9月ごろ島津興業の手によって移動されたということであった。そこで島津敬久氏に問い合わせたところ、池之上町の玉龍高校裏の福昌寺跡の墓地に改葬したということであった」とある。

 更に同誌には島津敬久氏提供の写真もあったが、4基のうち3基のみ写っている。
そして次のような記述がある。
「左から二番目の宝塔には正面に
      常照院殿観了日脱大姉
          南無多宝如来
 右面に
      寛文十三丑妃
          南無妙法蓮華経
 後面に
      江戸池上本門寺墓地
          墓碑と共に改葬  
                      と刻まれている。
 常照院殿は第20代島津綱貴公の御夫人である。松平左兵衛督信平主の娘であって、寛文十三年(1673)正月五日死去され忌日は二月五日と定められていた。東京の池上本門寺から改葬したものである」とあり、この宝塔の台石の漢文のお経か詩も書いてあるが、割愛する。

 「一番左側ののには中央に
      蓮亭院殿香顔玉溶大姉
                      と刻まれている。
 これは第26代島津斎宣公後の御夫人で丹波加賀守長祥元の妹にあたる方である。文化十二年(1815)巳亥六月二十六日に死去され、忌日は六月二十三日と定めてある」

 「一番右側の六角柱の墓には
      正面  信証院殿寿国総元持大禅尼
      左面  改号 福宝清香姫命
                      と刻まれている。
 この墓は第20代島津綱貴公後の御夫人の墓である。この方は、江田五兵衛国重の娘で幼名を梅ヶ枝といい、のち於豊といった。宝暦六年(1756)丙子正月三十一日死去されている」

 「その次、右から二番目の五輪塔には
      正面  信解院殿方広浄玄大禅尼
      左面  改号 伊都栄樹姫命
                      と刻まれている。
 この方は第二十代島津綱貴公の娘さんにあたられる方である。元禄十一年(1698)一月十七日に生まれ、明和八年(1771)六月八日七十一歳で亡くなられている。この方は伊予の飛騨守定英の奥様になられたが、のち離別され、剃髪して仏門に入られ、信解院と号された」

 尚、この「武郷土誌」によって、佐志島津家の墓や我が家の墓のあった「笑岳寺墓地」があった笑岳寺がいつ廃寺になったのかも明らかになった。ここも徹底的に行われたという明治2年の廃仏毀釈によって廃寺になったそうだ。

 そうするといつごろ我が家が笑岳寺墓地を手に入れたのか考えてみた。
父方の祖父が明治4年(1871)2月28日に生まれて昭和18年2月28日という誕生日に没しているので、祖父の父親の代に手に入れたものかと思う。この墓は以前当ブログに書いたように昭和50年代初めには区画整理により、現在の武岡墓地を中心に他の墓所に改葬された。

 今回いろいろ調べる中で感慨深い想いを持った一つは、自分の3代前の祖父が明治維新の直後に生まれていて、4代前のその父親というのは明治維新のまっただ中を生き抜いた人だったのかなということだ。歴史というのは決して遠い昔のことだけではない。
ますますいろいろ調べることが面白くなってきた。
 




  






Last updated  2011.12.05 21:58:46
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2010.04.20
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 今日は朝から鬱陶しい空模様だ。時々小糠雨も混じる。

 グラウンドゴルフをどうしようかとのTさんの電話にも、昼からにしましょうかと

 答えたが、結局それも中止した。

 そのため、農園にも行かず、新聞、本、テレビの断続模様で午前中は過ぎた。

 週一回のヨガから帰ったかみさんは、一人で雑草園の手入れを始めたようだ。

 私は、5月22日に開催される母校の同窓会総会・懇親会の会費6000円也を

 ゆうちょ銀行に払込に行ってきた。

 母校の鹿児島G高校が70年を迎えるそうで、我々33年卒の八期会の会長から

 誘いがあったものだ。なんでも同期生も10人あまり参加するそうで、1昨年

 卒業50周年記念同窓会以来会っていない友も多い。

 8期会は良くまとまっており、50周年同窓会にも115人参集したが、全体同窓会

 にもそこそこ集まり、総会の後、2次会として8期会をやるのが、恒例になっている。

 今日の写真は我が家の雑草園のガーベラである。






Last updated  2010.04.20 14:14:58
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2010.03.26
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 北九州から帰った翌日から、雨模様で3日間運動も出来ずストレスが溜まった。

 今日は温度こそ13°くらいまでしか上がらないようだが、朝から日本晴れの

 良い天気である。

 早速、グラウンドゴルフ仲間でライバルのTさんに電話を入れる。

 9時半公園集合で、先に行って手ぐすねひてTさんを待つ。

 何しろ先週木曜日以来のことで、Tさんも腕を撫して私の挑戦を待っていたようだ。

 5試合終終わって二人とも調子悪く、ホールインワンもなく、点数も悪い。

 そして、いよいよ最後の6試合目に突入。

 先ず私が、4ホール目 距離15mでホールインワン。続く5ホール目 50mで

 連続のホールインワン、グラウンドゴルフ歴3年の私も連続ホールインワンは初め

 である。これで今日の勝利の女神は自分にほほえんだと思った。

 ところが“敵も然る者ひっかく者”7ホール30mで私が先に打っていたボールに

 あとで打ったTさんのボールが当たり、跳ねてTさんのボールがホールインワンに

 なってしまった。しかもそれだけではない。更に最終8ホール目15mでTさんが

 またホールインワンを入れてしまったのだ。万事休す! 

 終わってみれば6ゲームで二人とも116点。目標の平均20点もクリアー。

 二人で健闘をたたえ合って別れた。明日の どんぐりの会定例会に勝負は持ち越し

 となった。二人とも大満足で終わったのは何よりだった。


 写真は先日小倉の叔父の家で珍しい花を見かけたので、写してきた。

 三又(ミツマタ)の木だ。枝の先が3つに別れて3つの花が咲く。

 昔から和紙の原料として知られている木だ。

 






Last updated  2010.03.26 13:49:01
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