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ジージの南からの便り

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島津義弘

2020.08.07
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カテゴリ:島津義弘


 えびの市在住のAさんが「飯野城跡」(別名は亀城、鶴亀城)を案内していただけるということで、Aさんの車の後ろに続いた。

 「飯野城跡」方向表示板の前にAさんの車が止まると、「縄張り図」とともに「史跡 飯野城」の説明版があった。

 飯野城は、永暦元年(1160)に日下部重貞が真幸院司に就任し、真幸院守護の守護の目的で築き居城としたが、その日下部氏が没落すると、康永4年(1345)に北原兼幸が真幸院司に就任し居城とした。
永禄7年(1564)北原氏も滅び、今度は島津氏の保有となり、島津貴久が北への守りとして次男・島津義弘を領主とし送り込み居城となった。義弘は30歳から56歳まで実に26年間ここを居城とし、数々の合戦にここから出陣した。
天正15年(1587)に義弘の嫡男・島津久保の居城となるが、久保は文禄の役に参戦中の文禄2年(1593)に病死する。
それより前、天正18年(1590)6月義弘は栗野の松尾城(栗野城)に移った。
しかし、慶長20年(1615)一国一城令により廃城となる。

 下の表示にある「加久藤城連絡道」を使って義弘は加久藤城に住む愛妻の許に通ったという。





 石碑に記された文字は飯野城址ではなく、別名の亀城址碑としたのか「亀・・・」とあり、亀の文字は読み取れるが他は読解くことはできなかった。
 








 本丸、二の丸、三の丸に加えて、見張り台、枡形、弓場と呼ばれる郭が存在したという。



 物見曲輪跡からの展望



 城跡は50mの河岸段丘上にあり、城の南方は川内川に面して、また東方と西方もその支流が流れいずれも険しい崖となっている。北方は押建山が壁の役割を果たしている。







Last updated  2020.08.07 12:23:18
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2020.07.30
カテゴリ:島津義弘


 「加久藤城」を後に「えびの市歴史民俗資料館」に向かう。
ここでは「田の神さあ」の大きなモデルなど見て、えびの市の歴史や市の概要などを知ることができた。
諸資料もたくさんいただく。

 そこから「木崎原古戦場跡」に向かう。今回楽しみにしていた場所の一つである。
道路を挟んで左側に上の写真にあるように堂々たる「木崎原古戦場跡」の石碑があった。



 右側にこれも歴史を感じさせるこんもりした森があった。ほとんどが400年以上の樹齢を持つ杉の木である。ここに「六地蔵塔」などがある。

 では「木崎原の戦い」とはどうようなものだったのだろう。
元亀3年(1572)5月3日夜、日向の伊東義祐(よしすけ)の重臣・伊東佑安以下3000余りの将兵が出陣した。島津貴久の死で動揺している島津家をこの際、日向から排除しようという算段である。
佑安は連携する肥後の相良義陽と飯野城に近い妙見原で兵を二手に分け、一部を残して薩摩・日向・肥後の国境に近い真幸院の島津側拠点・飯野城に兵を向ける。飯野城には島津義弘がいたが、事前の諜報で伊東勢の動きは察知していた。ただ島津側の兵力は飯野城に300。加久藤城には50しかいない。
しかし、義弘の考えは加久藤城の防備をわざと薄くし、敵を誘い込もうとしていたのだ。

 伊東勢が放った火は夜の空を赤く染めたので飯野城からも遠望された。
それを知らされた義弘は「時ぞ来たれり」と新納忠元の薩摩大口城やなど近隣の島津方拠点に狼煙をあげさせ、遠矢良賢以下60人を加久藤城後詰めに向かわせた。そして五代友喜40を南の野間口、村尾重候50を南東の本地口の溝にそれぞれ伏兵として配置し、準備していた幟や旗印を肥後国境近くに林立させて兵が布陣しているように見せかけ、相良勢を牽制した。それを見て義弘は手兵130を率いて出陣した。

 一方の伊東勢は地理にも疎く、加久藤城を攻めあぐねていた。地形を利用した城からの投石や弓矢で損害が増えていった。そこに城内から川上忠智も突撃をかけ、さらに馬関田城などの援兵も伊東勢に襲いかかったため、一旦退却しようとしたが、島津方の僧兵らに行くてを阻まれてまた北上し木崎原まで退却する。この頃には相良勢は義弘の計略にだまされ、伊東軍に合流することなく引き上げていた。

 義弘は伊東軍に正面攻勢をかけ伊東佑信を討ち取る。伊東軍は慌てて白鳥山に登り、そこから高原城への撤退を図る。しかし、これも義弘の思うつぼであり、一旦攻撃を緩めて最終決戦地へ追いやろうとしたものであった。これが後に島津勢の十八番となる「釣り野伏せ」という伏兵包囲戦術だった。
鎌田正年に兵60を割いて伊東勢の背後に回らせた義弘は、自身伊東勢に正面突撃を敢行する。義弘は自ら太刀打ちする苦境に陥るが、全ての戦力を集めて戦闘に参加。伊東勢は大混乱に陥り潰走する。
「九州の桶狭間」とも呼ばれるこの戦いでは島津軍も85%の被ったが、総大将の佑安も敗走の途中で途中で戦死した伊東軍に対し、武将クラスの戦死者がいない島津軍の勝利と言っていい。3割近い兵と猛将・佑安ら多くの有力武将を失った伊東義祐は再起不能の状態に陥り後の天正5年(1577)には島津氏が攻めてきて、豊後の大友氏を頼って落ち延びたが、漂白の末に死を迎える。



 木崎原の戦いで戦死した敵・味方の霊を慰めるため、六地蔵塔がある。島津氏は大きな戦いのあとにはほとんど六地蔵塔を建てた。



 「三角田」と呼ばれる場所。
木崎原合戦の時、伊東軍と島津軍が一進一退の激戦を繰り返したところで島津義弘が伊東軍の将・伊東新次郎を槍で突き伏せ、また敵中に深く進み過ぎた義弘を退かせるため盾となって六人の重臣が討ち死にした場所である



 参考資料  えびの市ホームページ
       「薩摩島津家 最強の真実」  KKベストセラーズ   他






Last updated  2020.07.30 21:51:56
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2020.07.28
カテゴリ:島津義弘


 ここは加久藤城の大手門の表示があった場所から少し先に進んだ道。
車をここに止めて、先に進んだ。150mから200mくらい歩いただろうかやっと「史跡 加久藤城跡」の案内板のある場所にたどり着いた。というのも7月21日のこの日、南九州の梅雨は明けず、偶然といっていい晴天に恵まれた日ではあったが、これより先の曲がりくねった道は急坂で苔がいっぱい。
日陰のため、濡れた苔は水分をたくさん含んで、誰が歩いたのか滑った跡も数ヶ所残るありさまだった。

 加久藤城については、下の案内板の通りだが付け加えると、応永年間(1394~1428)に真幸院の領主・北原氏が小田村の山に「久藤城」(ひさふじじょう)を築いたのが始まりである。
永禄7年(1564)島津忠平(義弘)が中城と新城を縄張りに加えて「加久藤城」と改め、加世田よりここに移った。その後のことは下記案内板の通りである。



 加久藤城には現在、本丸跡に竈門神社と土塁が残され、二の丸跡は林状になっている。



 加久藤城に行く途中には長子・鶴寿丸の墓ある。詳細は下の案内板の通りである。






 

 次回はいよいよ「木崎原の戦い」(きさきばるのたたかい)の古戦場跡を紹介します。






Last updated  2020.07.28 08:18:38
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2020.07.24
カテゴリ:島津義弘


 霧島市牧園町のM家墓地を参拝見学した私たち一行が次に目指したのは、湧水町栗野にある「松尾城」(栗野城)である。
 松尾城は島津義弘ゆかりの城の一つであり、天正18年(1590)~文禄4年(1595)の5年間在城した中世の山城である。
これより前は肝付氏庶流の血筋である真幸院の在地領主・北原氏の居城だった。
城は川内川に面した台地に築かれていて、現在は城山公園として大手門を模した冠木門が築かれている。
本丸、二の丸の他、堀を隔てて各出城や護摩所、研屋敷、南御門、調練場などが配置されている。

 本丸の石垣は義弘が太田道灌の子孫といわれる太田武篇之助に造らせたといわれ約500個の野面石の積み上げられた強固な造りとなっている。



 この野面積みの石垣は鹿児島では珍しいと言われている。



 石垣は総延長約52m、勾配70度であるという。
甲州流の築城と言われており城壁に石垣をもつ山城は他に例を見ないという。



 石の階段を登り、平地になった本丸跡に着く。
 




 逆光で見えにくいが「松尾城址」の石碑がある。



 本丸跡と二の丸跡には館の礎石が残っていた。(ここは本丸跡)



 二の丸跡には館の礎石が幾つか残されているだけでこの写真の左側は草が生えているだけだった。



 文禄元年(1592)義弘は豊臣秀吉の命を請けて二男・又一郎久保とともに朝鮮での文禄の役に当城から出陣した。「刀磨欲踊り」(かたなときほしおどり)を舞わせ軍勢の士気を高めたといわれる。



 文禄4年(1595)8月義弘公は無事帰城したが、久保は文禄2年9月に戦地で病死した。
また帰城前の文禄4年7月には五男・久四郎が病死、相次いで子を亡くして悲しい思いの続いた義弘公は居を帖佐に移し、この松尾城に腰を落ち着けることはなかった。

 参考資料 当城の説明版を中心に「戦国武将 島津義弘 史跡ガイドブック」、ネット情報など。






Last updated  2020.07.24 09:19:25
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