1053253 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

ジージの南からの便り

PR

全109件 (109件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 11 >

旅行・ドライブ

2020.10.30
XML
カテゴリ:旅行・ドライブ

 
 高校同期歴史愛好家4人組の私たちは、天昌寺跡墓地見学を済ませて再びボランティアガイドOSさんの車に乗せていただき「商家資料館・旧阪本家」に向かった。

 「宮崎市佐土原資料館」のパンフレットによると、阪本家は江戸時代から続いた味噌・醤油醸造販売を営む旧商家だったという。
この建物は明治38年(1905)に建築され、平成12年(2000年)5月旧佐土原町の有形文化財に、同20年12月1日には宮崎市景観重要建造物に指定された。

 佐土原の町の旧商家の建物は、切妻屋根造りに妻から入る基本の型と、この型の2・3軒分の土地に切妻屋根造りまたは入母屋根造りに平から入る型に分かれる。
旧阪本家の建物は後者の「重層入母屋根造りの平入り」の型である。
この周辺は江戸時代、佐土原藩の町人町として位置づけられ、城が広瀬に移った後の明治期以降も旧城下町として栄えた。しかし、近年古くからの建物が少なくなっていく中で、阪本典章氏から建物寄贈を受け、旧佐土原町によって保存のための改修工事が施され、商家資料館として活用されている。



 外観も見所の一つ。
なまこ壁や紅柄格子、防火用水など現在では見ることが少なくなった建築様式を見ることができる。



 屋根には屋号や家紋をあしらった瓦やゲン担ぎのための鍾馗瓦などがある。



 旧阪本家をあとに宮崎駅行きのバスに乗車のため再び佐土原城跡まで戻る。
ここでガイドしていただいたOSと別れて「城の駅・佐土原いろは館」でしばらく休憩。
入口には島津豊久公の大型パネルが展示されていた。

 今年は豊久公生誕450年ということで11月20日から11月29日の間、「生誕450年記念島津豊久展」が開催されるという。人気漫画「ドリフターズ」企画展・日向の陣だという。



 バス停の前に佐土原城跡の景色がひらける。







Last updated  2020.10.30 13:40:51
コメント(5) | コメントを書く


2020.10.28
カテゴリ:旅行・ドライブ


 佐土原城跡を見学の後、車のない私たち一行をボランティアガイドのOTさんが自家用車で案内していただけることになって、向かったのは島津家久・豊久公の眠る「天昌寺跡墓地」である。
ここの説明は二枚の案内版で十分に説明されているので、書く事もない。
ただ、写真の一枚に謎の男が写っているので注目ですぞ!(爆)


















Last updated  2020.10.30 12:43:32
コメント(6) | コメントを書く
2020.10.27
カテゴリ:旅行・ドライブ


7月の宮崎県えびの市歴史旅から3ヶ月、今回は一泊で佐土原と都城を訪ねた。
メンバーは前回と同じ4人組である。
朝7時37分鹿児島中央駅発の特急きりしま号でKくんと出発。途中鹿児島駅で二人が乗車合流し4人旅が始まった。
10時過ぎには宮崎駅に到着、友人のNくんの出迎えを受けて佐土原歴史資料館「鶴松館」(かくしょうかん)まで送ってもらう。ここは佐土原城跡の一角に建てられている。 



 佐土原城は14世紀半ば頃に伊東氏の一族・田島休助によって田島城として建てられたといわれる。
応永34年(1427)頃、田島氏に代わり日向国に勢力を伸ばしていた本家筋の伊東祐賀が入城し佐土原氏を名乗る。文明12年(1480)に伊東本家筋から伊東祐国が佐土原氏の養子に入り、正式に伊東氏が田島城(佐土原城)を支配し伊東四十八城の一つに位置づけられたという。
天文5年(1536)に焼失したが、天文11年から12年にかけて跡地に新しく鶴松城として建てられた。その後、九州の関ヶ原の戦いといわれる「耳川の戦い」に破れ豊後国に一時的に退去した際に島津四兄弟の末弟・家久が城主として入った。

 天正15年(1587)に豊臣秀吉の島津氏に対する平定により、島津本宗家の16代当主・義久が秀吉に完敗し降伏する。その直後に家久が急死(死因については諸説あり)し息子・豊久が城主となる。
家久と豊久親子の2代が前期佐土原家と言われる。

 寛永2年(1625)の2代島津忠興の代に山の上の建物を壊して、山の下に城を移した。城郭の老朽化による修繕費の増大により藩財政が逼迫したことと、元和元年(1615)の武家諸法度の発令による大名の城郭に対する規制が厳しくなったことなだがその理由と思われる。

 慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで島津軍は西軍に参加するが、豊久は討死にし、佐土原城は家康の家臣・庄田三太夫が預かる。その後慶長8年に島津以久(宗本家15代当主島津貴久の弟忠将の嫡子)が3万石を分与されて立藩、明治まで領することになる。以久以降が後期佐土原家と言われている。



 下の写真は「佐土原城跡」のパンフレットから
写真の中央付近に佐土原歴史資料館「鶴松館」(かくしょうかん)がある。
佐土原城は山城で中世宮崎平野を治める拠点として、城には曲輪が設けられ、土塁や堀切が築かれていた。江戸時代には現在の鶴松館の部分に佐土原藩主の屋敷が建てられ、明治の廃城のときまで使用されたという。また近年、本丸から発見された天守台や鯱瓦は、貴重な発見例として注目された。
平成16年9月30日 「佐土原城跡」は国指定史跡となった。
佐土原歴史資料館「鶴松館」は城の遺構に基づいて、二の丸跡に大広間・書院・数寄屋が復元され、平成5年6月に開館したという。








 今回私たち4人はボランティアガイドのOTさんから懇切丁寧な案内をしていただいた。
OTさんに私たちが宮崎を訪ねることを連絡していただいたのは、ブロ友である「永吉南郷会」の前会長で現在顧問として日置市吹上町の「永吉島津家」の菩提寺・天昌寺跡墓地などのガイドをされている「本〇どん」である。OTさんと本〇どんに感謝の他ない。ありがとうございました。

参考資料
 Wikipedia         佐土原城
 川口素生著    「島津一族 無敵を誇った南九州の雄
 佐土原歴史資料館 鶴松館 パンフレット






Last updated  2020.10.30 12:41:53
コメント(4) | コメントを書く
2020.08.13
カテゴリ:旅行・ドライブ


 予定では飯野城跡を訪ねた後は帰路に着く予定だったが、Aさんが、石造三連アーチ橋に連れて行ってくださると言う。
石造の古いものが大好きな私は、ワクワクしながらついて行った。

 行ってその雄姿に驚いた。私たちは写真に写る橋の右側から橋を渡ってこの河原に降り立った。
空と緑と石橋のバランスの素晴らしさにしばらく写真を撮りまくり、眺めて瞼に焼き付けた。

 下の写真は、橋の手前から写したもの。
「月の木川橋」と呼ばれているが「めがね橋」「太鼓橋」とも呼ばれるという。



 こちらの写真は反対側から写したもの。
三連アーチということがわかる。

 「月の木川橋」は、橋長 58,2m  橋高 17,2m 国登録有形文化財である。
昭和3年(1928)完成をみた橋で、川内川上流の大平官行から吉都線飯野駅までの約30kmのトロッコ軌道の一部として熊本営林局により木材搬出用に造られた。昭和37年(1962)に廃止された。安全上の理由で車は通行止めとなり、現在は人だけが通る道になっている。

 この月の木川橋は家に帰ってからyouTubeで見たえびの市出身の黒木和雄監督の映画「美しい夏キリシマ」でも撮影現場として使われて美しい風景が映し出されている。



 Aさんと別れて帰路に着いた私たちは、お土産を買って、島津義弘像を見て帰ろうと「道の駅えびの」に立ち寄った。しかし、この日は火曜日で定休日だった。



 ただ島津義弘像に休日は無し。青空に映える鎧兜姿の雄姿を見ることができた。



 この島津義弘像は2018年3月4日に除幕したという。
夕方近くで逆光だったが、威風堂々たるものだった。



 これで、日帰りの主に島津義弘の城を3つ訪ねる旅は終わった。
Aさんのガイドもあって、その他にもいろいろな知識を得ることができて有意義な旅だった。
そして、日頃は高速道路でえびの市を走り抜けるだけだったが、今回ゆっくり市中をまわったことで、えびの市の便利であって、田んぼや山や川のある環境にすっかり魅せられてしまった。
今回行くことのできなかった史跡も数多いので、また行ってみたいと思う。
榎田関跡(薩摩藩9関所の一つ)、狗留孫神社遺跡、東川北にある板碑、亀鶴城址など訪ねたい。






Last updated  2020.08.13 10:24:32
コメント(8) | コメントを書く
2020.08.11
カテゴリ:旅行・ドライブ


 飯野城跡を訪ねた後、私たちはAさんの案内で同じえびの市大字大川平にある国登録有形文化財「黒木家住宅」に向かった。同行した友人のMくんとえびの市在住のAさんとは従兄弟であるが、黒木家はその親戚の家だという。後で詳細は書くが、映画「美しい夏キリシマ」の黒木和雄監督が撮影に使った場所でもある。尚 黒木和雄監督もお二人の従兄弟だという。

 黒木家住宅は大正初期の建築で、大正7年(1918)のシベリア出兵の際、ロシア軍の参謀であったセミノヨフ将軍を援助・活躍した陸軍少佐黒木親慶(ちかよし)の自宅でシベリア撤兵後も亡命したセミヨノフ将軍を匿う目的で増築された8帖二間の部分も残されている。
主屋は、木造平屋瓦葺の近代和風の建築様式で玄関一帯は、現在では驚く程の手の込んだ造作がなされている。
10帖二間の客間には書院、床がつけられ、当地方の間取り造作そのままであり、セミヨノフ将軍の為の8帖二間の客間にも床がつけられ、こちらには、洋式のトイレも設置されている。
障子も雪見障子が使われ、中仕切欄間、廊下側には採光欄間があり、廊下外側の外部欄間ガラスも組子付きである。尚、6帖の仏間には仏壇と神棚が並設され神仏混淆の姿が見られ興味深い。
女中部屋、台所部分も在来のままで保存され、建物全体も平成13年8月に黒木和雄監督の作品「美しい夏キリシマ」(公開は平成15年12月6日)の撮影の際に一部補修の手が加えられた。(以上 説明版)

 国登録有形文化財に指定されたのは、主屋、座敷棟、台所棟、土蔵の四つの建物である。
現在は黒木和雄氏の親族の所有であると聞く。
上記説明版にあるように平成13年8月の「美しい夏キリシマ」の撮影日からも年月を経てその後の建物の傷みも激しい。そこで今年6月10日、えびの市の担当者を中心に20人が集まって黒木家住宅の現状を調査し補修・再生への道を探るべく動き出した。その様子はyouTubeで見ることができる。









 黒木和雄監督(1930、11,10~2006、4,12)は母の実家のある三重県松坂市で生まれるが、神戸市、宮崎県飯野町(現在のえびの市)を経て、5歳のとき父の仕事先・満州に家族と渡り少年時代は満州で育つ。1942年に日本に戻り中学から祖父母の住むえびの市で育つ。県立小林中学校、県立泉ヶ丘高校、同志社大学法学部を卒業し、岩波映画製作所に入社する。(以上wikipedia)

 「美しい夏キリシマ」は黒木和雄監督がレクイエム三部作として撮影した中の一本で、昭和20年8月の広島原子爆弾投下から終戦までの間をえびの市の美しい風景をバックに人間模様を描いている。私もyouTubeで見ることができることを知り、2時間近い作品を見ることができた。終戦記念日前後のこの時期に見ることで、改めて平和の大切さを痛感できる作品だと思う。

 下の写真の大きな石が映画でも映される場面がある。









Last updated  2020.08.11 17:40:19
コメント(7) | コメントを書く
2020.08.05
カテゴリ:旅行・ドライブ


 えびの市で昼食をとるため入った中華料理屋は当たりだった。
「冷麺」を食べたが質量ともに最高!
遅い昼食を済ませた私たち4人はメンバーの一人であるMくんの従兄弟さんの家を訪ねた。
初対面だったが、厚かましくも家に上がり込んでお茶などご馳走になった。

 そのMさん宅は川内川のすぐ横にあって、堤防を登って行くと、川内川を一望できた。
数日前の水量は凄く、まさに泥水状になって激しく流れるさまが写真に写されてAさんのホームページに掲載されていたのを見ていたので、この日の風景は信じられないくらい平和なものだった。



 Aさん宅の前の道路は明治の初め頃までは国道として、重要な役割を果たしていたとのことで、それを偲ぶことができる庚申等塔や石敢塔が残されていて見学できた。







 このあと、Aさんの案内で「飯野城」に向かう。
まだまだ続きますよ~。






Last updated  2020.08.05 14:22:58
コメント(7) | コメントを書く
2020.07.26
カテゴリ:旅行・ドライブ


 鹿児島県湧水町栗野の「松尾城跡」の見学を終わった私たちは、宮崎県えびの市に向かった。
隣県である宮崎県の南部はその昔、日向という呼び名で薩摩藩に属していた。

 宮崎県えびの市での最初の訪問は「島内地下式横穴墓」である。中世の松尾城から古代の墳墓への先祖返りである。それには少しだけ訳があって最近 地元の南日本新聞に「隼人起つ 乱から1300年」という連載記事が5回にわたって連載され、その中で古代の南九州の独自の生活が紹介された。その記事からの連想で私たちの「高校同期生歴史会」で古代史のことが話題になって、今回も同行したKくんを中心に少しだけ古代史をかじり始めているからだ。

 そういうことで人里離れた? えびの市大明司にある横穴式石室系板石積石棺墓が保存された建物に到着 。                                            板石積石棺と横穴式石室との折衷型という日本唯一の遺構が発見されたことから、そのままの姿を保存し、実物展示をするためにつくられている。

 島内地下式横穴墓群139号墓の跡。
139号は調査主体・えびの市教育委員会、調査協力・鹿児島大学総合研究博物館で平成26年10月20日から27年1月30日に発掘調査された。
 


 この島内地下式横穴墓群には墳丘はなく平らになっていた。現在は調査発掘の後、梅たれられ整地されている。



 5世紀初めから7世紀前半の古墳時代に、南九州の東側につくられた地下式横穴墓は、墳丘は造らず地下の「玄室」に遺体を葬る九州南部特有の墓だといわれている。
この墳墓は、玄室南側に羨道または横口と呼ぶ出入口と門が設けられ、北面の中央に大きな石を設置してある。板石の内側には赤い色の顔料が塗られており、身分の高い人たちの墓だったと思われる。



 これは1500年前の大量の副葬品を納めた地域首長墓と思われるが完全な状態で発見された。



 えびの市ホームページによると「基本情報」として下記のことが書いてある。
●年代は5世紀末~6世紀初頭=古墳時代中期末~後期初頭
●九州南部に特徴的な地下式横穴墓(墳丘・埴輪などはない)
●島内地下式横穴墓群中の墓としては、玄室は最大級
●国の重要文化財にも指定されている島内地下式横穴墓群の中でも最多・最上位の副葬品が完全な状態で   
 出土
●男女と考えられる二人が埋葬。追葬はなし

 「特質すべき点」として下記のように書いてある。
地位の高い首長層の古墳の場合、未盗掘で発掘調査されることは極めて稀である。土にも触れず通常では腐ってしまうような繊維や革などが多量に残存している。金属器の状態も良好で、有機質も金属も良好な残存というのは稀である。同レベルの副葬品の組み合わせを持つ古墳は希少であり、全国的にも各県あるいは旧国に一基程度あるかないかのものである。





 ここまで島内地下式横穴墓群について書いてきたが、古代史における大和王朝のなかのえびの市、大きくは日向の位置づけを見ないと本当のことはわからない。機会をみてそのあたりのことは書くつもりである。そいう意味ではこの項は中途半端になってしまった。






Last updated  2020.07.26 14:20:18
コメント(7) | コメントを書く
2020.04.12
カテゴリ:旅行・ドライブ


 阿蘇神社を後に阿蘇ファームランドに向かう。
ここには10年くらい前までは数回行ったことがあるが、今回久しぶりに訪ねると昔の面影はないくらいの変貌を遂げていた。(あくまでも個人の感想)

 雨も降っていたので、今回はこの売店だけの訪問となった。コロナ騒ぎもあってか静かな売店の中で買い物をすることだった。

 最後に白川水源へ。
ここは、南阿蘇の源水の代名詞とも言える水源で一級河川・白川の総水源である。毎分60分もの湧水が地底の砂とともに勢いよく湧き上がるさまは壮観である。



 飲み水として汲み上げて持ち帰る人も多い。



 これまで行った時とは桁違いの人の少なさだった。



 ここから白川へと流れて行く。



 奥には「白川吉見神社」がある。



 旅の最後のランチは南阿蘇の「白水乃蔵」
孫たちは贅沢にも焼肉定食を頼んでいたが、大人組は名物「高菜めし」や「だご汁」など。
私はメニューの中から「焼肉カレー」なるものを見つけてたんでみた。
出てきたのが下の写真。赤牛の焼肉入りだった。柔くておいしくいただいた。



 かくして、親・ジジババ同伴の孫の卒業旅行は終わった。
またこういう機会をつくれたらいいなと思いながら旅は終わった。






Last updated  2020.04.12 13:07:29
コメント(8) | コメントを書く
2020.04.10
カテゴリ:旅行・ドライブ


 3月28日(土)前日の宿、阿蘇乙姫のペンション・アルムの森を後に、阿蘇神社へ向かう。
平成28年(2016)4月14日以降熊本を中心に相次いで発生した「熊本地震」によって、4月16日未明、ここ「肥後の一宮」・「阿蘇神社」境内の社殿はほぼ全てが甚大な被害を被った。

 私はその後の2017年10月6日、昔の職場のOB会で、ここを訪れているが、何故かブログにはアップしていない。

 今回再び尋ねると上の写真に見る通り「力をあわせて阿蘇神社の再建を!!」のスローガンのもと、復興、復元が始まっていた。

 下の写真は本殿の復元現場である。





 参道の桜並木が満開で私たちを迎えてくれた。





 下の2枚の写真は、2017年10月6日に訪ねた時に、境内にあった地震直後の様子を写した写真がパネルにしてあったものを写したものである。これ等からもいかに被害が大きかったかが分かる。









Last updated  2020.04.10 13:32:56
コメント(6) | コメントを書く
2020.04.07
カテゴリ:旅行・ドライブ

 
 3月27日(金)雨の長崎を後に、高速道路を熊本方面に向かう。途中、雨のため一部通行止めが発生し、国道や県道に迂回する。これで2時間近いロス発生。
再び高速に乗ってサービスエリアの「金立」に到着。それぞれ土産を買ったり、お茶を飲んだりしてしばし憩う。

 熊本で高速を下りて、ミルクロードを通り、阿蘇の乙姫方面へ向かう。
途中では思わぬ”桜並木”に遭遇し、桜を見ながら駆け抜けた。
ただ、夕刻も迫り、途中から濃霧に見舞われてしばらく用心してのドライブ。
楽しみにしていた「大観峰」の見学どころではない。生まれて初めてのような濃霧でどこを走っているのかもわからない道中だった。



 やっとの思いでその夜の宿・乙姫ペンション村の「アルムの森」に到着。
ここは娘家族が一番お気に入りの宿で数回訪れているらしい。私は10数年ぶりの2回目の宿泊である。
露天風呂が2ヶ所、内風呂2ヶ所などいずれも貸切でゆっくりくつろぐことができる。





 夜はフルコースの料理オンパレード。
このあと、スープ、魚料理、」肉料理など・・・。質量ともに満点。完食した。
あまりの美味しさに写真を撮るのも忘れてしまった。



 最後のデザートをやっと写すことができた。これがまた美味しかった。



 朝も美味しい料理に舌鼓。



 マスター他の心温まるサービスと料理に楽しい一夜を過ごすことができた。感謝!
 



 このあと、熊本地震で本殿の壊れた阿蘇神社へと車を走らす。(続きます)






Last updated  2020.04.07 16:17:17
コメント(4) | コメントを書く

全109件 (109件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 11 >


Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.