2024/05/05(日)22:34
正直な話
5月5日 旧暦3月27日 六輝は「大安」
こどもの日、立夏
人生死ぬまで何が起こるかわかりません。私も仕事が終わった今年から農園に籠り、農園を仕上げるつもりでいました。昨年再度ストㇾリチアを育てるチャンスに恵まれ、農園の大改造に踏み切りました。それに伴って犠牲になった植物もあり、(特にバナナが激減、パッションが枯れるなど)また農園の土地の変化(木の伐採の為の強風・雨時の水没地帯の出現など)と言う思わぬ副産物もあり、どう農園を回し、どう農園を切り盛りしていくかが、私の老後のライフワークだと思っていました。
しかし、娘の病気をきっかけに、道は思わぬ方向へ向いてしまいました。
無職になっても時々ガイドをして、商店街沿いの空いている部屋を、何かの店舗か時間貸しルームにして日々を過ごそうと軽く考えていたのです。それなら農園時間をたっぷり取ることができますから。
しかしそれはもちろん、娘が元気でいるからこその話だったのです。
正直、週3~4日働いていましたが、ほぼアルバイトです。傍らでNPO法人の運営をしていましたが、貧乏法人でしたので、職員に給与を払うのがやっと。働き手がなくて、仕方なく自分がアルバイトをしていたのが実情です。したがって年金は国民年金のみですから、娘なしでは老後の生活は安定しません。
そんな中の娘の発病でしたから、病気の対処が先でした。
骨髄移植と言う現代医学の治療が、大きな病院では普通に行われていることを知り、ほんとに安堵したものです。
しかし、同時に入院・治療・ドナーの存在の有無・手術など、長期入院に備えての金銭的な問題や、退院後の生活など多くの問題を抱えての、見切り発車でもありました。
それぞれの立場で、出来る事をすると娘たちと決めた時から、おそらく店に関わるであろう事を、予感していましたが、農園の事もあり、時間に縛られないものを模索してきました。
でも、どれをとってもすんなりいかず、2か月を過ごしてしまいました。
最近、上の娘と会話する中、頭の中で思い描いた計画が、一つ手直しすることで、むしろ「店」にいた方が、可能になる事に気づきました。
手術後また退院後の生活を考えると、店を継続していく事も流動的です。しかし今は店を開けた方が良いと言う頭の中の声に従って、娘の店を引き継ぐことに決めたのです。
まあ、出る事出る事!! 不要なものが部屋いっぱいになりました。これらはもう一度精査して処分です。