私は、アメリカ軍三沢基地将校夫人と
航空自衛隊三沢基地幹部婦人会の
日米交流に、4年ほど前から参加しています。
料理教室、音楽コンサート交流・裂き織講習会・
ボーリング・クリスマス会
などを通じて交流を深めてきました。
3月11日金曜日も、いつものように交流会が終わり、
司令官宅で反省会の途中、大きな地震に見舞われました。
長い時間大きな揺れが続き、みんなで庭に避難し、
まるくなって全員で支えあっていなければ立っていられない状況でした。
揺れが収まって、慌てて家に帰ると、
2階の部屋はめちゃくちゃに物が散乱していました。
80歳の父と74歳の母は無事でしたが、
岩手県山田町に単身赴任している主人と連絡が全くとれませんでした。
山田基地はレーダーサイトなので山の上にあるからきっと大丈夫・・・
と思いながら、停電になった我が家で、ろうそくと懐中電灯の明かりで家族1つの部屋に集まって過ごしました。
何回も何回も襲う余震。
まだ、このときはTVも映らず、世の中の状況が
あんなにも、ひどいいことになっている事を知りませんでした・・・
そして、主人の住んでいる町岩手県山田町の状況も知らなかったのです。
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最終更新日
2011年03月17日 21時11分00秒
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