ダークサイドMLB 愛すべきカブスの迷走史
MLB情報誌「Slugger」はデータが多く,読み物としての面白さは少ないように思うのですが,ところどころに興味深い話が載っています。例えば,1月号では,BostonRedSoxに伝わる格言として「Baseball is not a life and death matter, But the Red Sox are」という言葉を紹介していました。「ベースボールは生死に関わるようなものじゃない。でも,レッドソックスはそうなんだ」ということです。本当でしょうか?格言?.もっとも興味深いのは「ダークサイドMLB "裏歴史»の主人公たち」という連載記事です。1月号は「“愛すべき負け犬»カブスの迷走史」という特集でした。ChicagoCubsはMLBでも屈指の古い歴史を持つ球団です。黒人選手締め出しの端緒となったり,1980年代になってもナイトゲームを開催しなかったり,かなり保守的なイメージがあります。このCubsが画期的な,というより「暴挙」に近いことを1961年に行いました。それは「監督を置かない」ということでした。従来の監督の仕事は「ヘッドコーチ」が行い,その期間は2週間,長くても1か月としました。「監督輪番制」です。複数のコーチが入れ替わり立ち替わり指揮をするというものです。発案者はオーナーのフィリップ・K・リグレー氏です。さらに「ウチにはマイナー球団というものは存在しない。それも含めて全部がCubsなのだ」とジョン・ホランドGMが語り,ヘッドコーチがマイナー球団のコーチに行ったりしました。指揮を任されたコーチが独自色を出そうとし,当然のことながら一貫性はなく,守備位置や打順,作戦を変えてしまいます。球団としては「『標準となるシステム』さえあれば,誰が指揮をしても同じだから監督は不要」という考えだったそうです。そんな単純なことではないはずです。当然このことは失敗しました。それでも1965年までこのやり方は続きました。結局,1966年,名将レオ・ドローチャー監督を招聘して,このシステムは終焉を迎えました。失笑を買ったCubsですがこの期間に先進的なことも行っています。1962年には陸上競技のコーチを招いています。さらに,退役軍人を呼んで軍隊式のトレーニングも行いました。一方で,初の黒人コーチとして,バック・オニール氏を採用しました。また,IBMのコンピューターを購入し,MLB全選手の分析を試みました。これは画期的でした。.球団オーナー(当時)のフィリップ・K・リグレー氏は「野球は太陽の下でやるものだ」という言葉が有名な方です。この言葉が野球ファンの共感を得たため,照明灯は長い間設置されなかったそうです。私もこの考えには賛成です。.ChicagoCubsの本拠地リグレー・フィールドの特徴として,外野フェンスにツタが生い茂っていることが挙げられます。時期によって茂り方や葉の色が異なり見る者を楽しませると言われています。ちなみに,打球がこのツタの中に入り込み野手が両手を挙げて申請すると球場特別ルールでエンタイトル・ツーベースになるようです。情緒のある球場を本拠地とし,されど「山羊(ヤギ)の呪い(ビリー・ゴートの呪い)」という伝説もあり,エピソードに事欠かない球団です。..「Slugger1月号」に載っていた興味深い記事をもう一つ紹介させてください。それはMLBの「監督年俸」についてです。これもChicagoCubsの話題です。今季MilwaukeeBrewersで監督を務めていたグレイグ・カウンセルさんがCubsの監督に就任しました。興味深かったのはその年俸です。5年4000万ドル,年俸800万ドルであるそうです。今季WORLDSERIESを制覇したブルース・ボウチー監督でさえ年俸400万ドルです。ボウチー監督は3度WORLDSERIESを制覇した名将です。MLBでは年俸100万ドルぐらいの監督が多いようです。選手の年俸と比較すると,こんなに安いのかと思ってしまいます。勿論,日本ではもっと安いはずです。今年100万ドルを超えていたのは読売ジャイアンツの原辰徳監督ぐらいであるようです。選手と監督の年俸差はNPBの方が近いと言えます。. 木津川俊彦投稿は必ず氏名と居住地(またはチーム名)を記載して下さい。匿名での投稿は個人攻撃や誹謗中傷につながるのでご理解願います。意見を述べるなら堂々と名乗りましょう。