明治生命館からほんの数十メートル先に
その当時のままに忠実に復元された三菱一号館
が歴史の重みを感じさせるかのように鮮やかで
堂々と落ち着きのある風貌をみせてくれています。
この建て物の前にしばしたたずんでいると
欧米諸国に劣らない立派なビジネス街をつくっていこうとする
岩崎弥太郎、実弟弥之助を中心とする三菱財閥
の途方もない夢のプロジェクトへの強い意志と熱き思いを
感じ取ることができます。
この三菱一号館は
明治を代表する数々のお雇い外国人のなかでも
偉大な建築家として知られるジョサイア・コンドル
による設計で
なんと 230万個の赤レンガを手作業で丁寧に積み上げて
三階建てにつくりあげられました。
今目の前にある三菱一号館美術館は
その当時の製法を忠実に守って復元されただけのこともあって
その美しい重厚感と手造りの職人の技が
古き懐かしき明治の
ほとばしるような文明の息吹をも感じさせてくれます。
この1号館は明治25年に完成しましたが
そのあと2号館、3号館と次々に建てられ
明治45年までに20棟にもおよぶ赤れんがの洋館
が軒を並べました。
その長さはちょうど一丁(約100m)にもおよび
さながらロンドンにあるロンバート街のように
美しく立派な街並みが実現して
一丁倫敦とよばれるようになりました。
大正3年に完成した
壮大な煉瓦造りの駅舎の東京ステーションもそうだったように
ちょっと歩みをすすめ左に折れ
この丸の内の通りに
入ったときに視界にぱっと飛び込んできたと思われる
一丁倫敦も
さぞかし壮観な眺めだったのではないでしょうか。
その後このビジネス街がリード役となり
日本の経済発展の原動力になったことは
周知のとおりです。