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カテゴリ:ドラマ
![]() 監督 サマンサ・ラング 主演 パメラ・レイブ ミランダ・オットー 原作・製作・監督・脚本・撮影監督そして主演の2人、すべて女性というオーストラリア映画です。オーストラリアの荒涼とした風景が美しい映画です。 広大な荒野の中の一軒家で、中年女ヘクター(パメラ・レイブ)は、年老いた父と2人で暮らしていた。家政婦として雇ったキャサリン(ミランダ・オットー)は、ロック好きの十代の少女。ヘクターは、そんな彼女の自由奔放さにひかれ、溺愛していきます。 その後、父親が亡くなると、ヘクターとキャサリンは、広大な土地と家を売り、大金持ちになります。そのお金で、ヨーロッパ旅行を夢見ながら、残った片隅の涸れ井戸のある小屋に移り住みますが、それから、2人の歯車が狂い始めるのです。 ヘクターのキャサリンに対する溺愛ぶりは、ハンパないです。最初こそ掃除などの家事をやらせますが、キャサリンが嫌がって帰りかけた後は、やめさせたはずの年配の家政婦を呼び戻し、キャサリンには家事など全くやらせず、コンポや洋服やブーツなどを買い与え、しまっていたはずのTVを出して来て、2人でお菓子を食べながら見たり、コンポで音楽を流し、踊っている彼女をうれしそうに眺めたり、2人でピクニックに出かけ、お弁当を食べながら、ヨーロッパ旅行の計画を立てたり、まるで、自分の娘、いや、それ以上の溺愛ぶりです。 広大な土地の一軒家に父親と2人で暮らしてきたヘクター、その暮らしぶりは地味で、厳格な父親に束縛されていたのではないでしょうか。父親が亡くなった時に、真っ先に父親の首から鍵束をとる行動が、それを象徴しています。 派手な遊びや、恋愛も知らず、唯一の楽しい思い出が、家庭教師といったヨーロッパ旅行でした。結婚もできず、気が付いたらもう中年、そんなヘクターには、キャサリンの若さ、自由さがうらやましかったのでしょう。彼女の世話をし、わがままを聞き、一緒に遊ぶことが、新しい世界に触れ、憧れに似た感情で、戸惑いながらもやめられなかったのでしょう。 父親の束縛からは解放されましたが、ヘクターは、今度はキャサリンに縛られます。父親の場合とは違い、ヘクター自身は、縛られている自覚はないでしょうが、わがままなキャサリンの望みをかなえることで、キャサリンの意向に沿う行動をさせられ、ヘクターの行動は制限されるのです。 自ら望んだのか、違うのかはわかりませんが、父親に束縛され長い年月を生きてきたヘクターは、自分から生活を切り開いていく術を知らず、生きて来たのです。ヘクターは、次は、キャサリンを生きる糧にしようと、彼女に引っ張られて生きることを望んでいました。 しかし、思わぬ反抗に会い、結局は、キャサリンは出ていきました。(詳しくはネタばれなので、書きません。) ラスト、一見、わがままなキャサリンに振り回されることから解放されたヘクターですが、実は彼女は、生きる糧を失ったのです。ひとり残された彼女が、この後どう生きていくのか、心配でなりません。 監督のサマンサ・ラングをはじめ、この映画の女性スタッフ陣は、古いタイプの女性(ヘクター)と、新しいタイプの女性(キャサリン)を対比させ、これからは、女性も自ら道を切り開き、したたかに生きていく必要があるということが言いたかったのでしょうか。それが、いいのか悪いのかは置いておいて、少なくとも、この女性スタッフの皆さんは、自分で生きてきた方たちでしょう。こうした、たくましい女性たちが、新しい世界を作っていくのでしょうか。 ちなみに、この映画公開時、キャサリン役のミランダ・オットー、実は30才です。撮影は、その1,2年前かもしれませんが、どう見ても10代のかわいらしい娘に見えます。このすぐあとの「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズでは、大人の魅力にあふれるお姫様を演じています。実は、この人が一番たくましいのかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.09.29 15:52:02
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