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カテゴリ:SF
![]() 「コンタクト」 Contact 1997年 アメリカ映画 原作 カール・セーガン 監督 ロバート・ゼメキス 主演 ジョディ・フォスター 以前「ガタカ」の記事の時に紹介した、“NASAが選んだ現実的なSF映画”の第2位に選ばれた映画「コンタクト」です。 それもそのはずで、この映画、日本でも一時有名になった天文学者、カール・セーガン氏の小説が原作です。 カール・セーガン氏は、アメリカの地球外知的生命体探査計画(SETI)の中心人物で、パイオニア宇宙探査機や、その後継機ボイジャーに、地球外知的生命体に向けたメッセージを乗せた張本人です。1980年代に、著書「COSMOS」とそのTV番組で、この日本でも有名になりました。 当時宇宙大好き理系少年だった、このぼくも、TV番組に魅せられ、「COSMOS」上下巻を夢中になって読みました。その中に紹介してある、この宇宙に地球外生命体の存在を推測するドレイクの方程式を知り、彼の言葉、「この広大な宇宙に、知的生命体が地球人だけというのはもったいない。」(この言葉は、この映画の中にも何度となく出現しています。)というのは、僕の生きる上での大きな指針になっています。 SETIプロジェクトの研究者、エリー・アロウェイ(ジョディ・フォスター)は、プエルトリコのアレシボ天文台で、宇宙からくる電波を研究していました。 しかし、先の見えないSETIプロジェクトに対し懐疑的な天文学の権威ドラムリン博士によってエリーのチームは研究費とアレシボの利用権を打ち切られてしまいます。 エリーは独自の資金源を求め、各企業を渡り歩き、ついにハデンというスポンサーを得ることに成功します。こうしてニューメキシコの超大型干渉電波望遠鏡群を独自の資金で渡りをつけ、探査を再開したある日、彼女は遂に26光年離れたヴェガから、断続的に発信し続けられる有意な電波信号を受信することに成功します。 チームは色めき立ち、早速その解析を進めるが、独断でこれを公にしたことでドラムリンや政府が介入してきます。そんな中、解析の結果、電波は50数年前ベルリンオリンピックのTV放送の電波がヴェガで捕らえられ、送り返されてきたものであることがわかり、それに膨大な暗号によるデータが含まれていることがわかります。 1万ページ以上に渡る膨大なデータの解析がなかなか進まない中、ハデンの助言によりエリーはメッセージの解読に成功し、何らかの装置の設計図であることがわかりました。 設計図をもとにヴェガへの移動装置が建設されます。エリーは乗組員に志願しますが、審議会で政府の宗教顧問パーマー(エリーがかつてプエルトリコで知り合い、一夜を共にした男)に「神の存在を信じるか」と問われ、実証主義の立場から否定します。 結果、人類の95%が何らかの神を信じており、神を信じない者は人類の代表としてふさわしくないという理由で、エリーは落選し、表向きに神の存在を認めたドラムリンが乗組員に選ばれます。しかし、動作テストの日、カルト宗教家の自爆テロによりマシーンは破壊され、ドラムリンも死亡してしまいます。 ![]() という風に、派手さはないですが、さすが実際の科学者原作の物語で、非常に科学的で、現実的です。しかし、当然のことですが、カール・セーガンの考えが色濃く反映されていて、テーマは、宗教と科学の対立の愚かしさだと思いました。 エリーは、神を信じていないということで、地球人の代表としてヴェガへの移動装置に乗り込むことを否定されてしまいます。 乗組員を決定するための面接で、「神を信じるか。」と問われ、彼女は、「科学者として、実証主義をとっています。判断するデータがないので、信じていません。」と答えています。 でも、彼女は、まだ証拠が見つかっていないにもかかわらず、宇宙人の存在を信じて、その証拠を探しているのです。 しかも、彼女は、スポンサーを探して企業を回っているとき、「あなたの計画は科学というよりはSFに近い。」と言われ、「あなたに言わせると空を飛ぼうとしたライト兄弟は異常なんでしょうね。音速の壁を破ったり、ロケットや原子力や、火星探査も。」と、興奮して演説しています。 エリーは、全然実証主義ではないですよね。 頑なな実証主義は、科学の進歩の邪魔になるだけで、新しい発見や発明を産み出さないはずです。今だできないこと、証明されていないことを、できると信じることなしには、新しいことは創造できないのです。 時々、心霊的なことや超常現象などを、科学的に実証されていないからと、全否定する人がいます。しかし、今現在、存在の証明がなされていないからといって、今後その証拠が全く発見されないという可能性を全否定してしまうのは、間違いです。そういう姿勢は、全く科学的ではありません。 この矛盾は、物語を作っていく上でのミスでしょうか。それとも、エリーが気付いていないだけでしょうか。 最後の結末を見るに、どうやらそれは後者のようです。宗教的な超常的なロマンな心を持っていない科学者は、新しい発見や発明をすることは不可能なのです。 カール・セーガンはそんなことが言いたいのだなと思いました。 それは、彼の著書「COSMOS」から、僕自身が学んだことでもあります。宗教や超常現象をやみくもに信じるのはおかしいし、頑なな実証主義に陥るのも良くないと、僕は思っています。 非常に科学的で、現実的ですが、ロマンも感じられる、いい映画でした。 しかし、ジョディ・フォスターって、誰もが認める、知的な美人を演じさせたら天下一品の、演技派の大女優ですが、恋愛表現って、あんまりうまくないですね。なんか、パーマーとエリーの恋愛に、唐突さ、ぎこちなさを感じたのは、僕だけでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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