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Wordbook of Kurumimochi               くるみもちの単語帳

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October 6, 2005
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テーマ:趣味の英語(406)
カテゴリ:奈良観光案内
 お彼岸過ぎに白毫寺(びゃくごうじ)を訪れました。高円山の中腹にあるのでここの参道は石の階段です。その両脇には萩が植えられていて、盛りの頃は参道が狭くになってしまいます。初めて訪れた時、萩の花に覆われた参道を想像して、そのイメージが私の頭の中にずっとありました。いつかはこの目で萩の花が咲き乱れる様を見てみたいと思い続けていましたが、今まで果すことができませんでした。今回英語教室(※)の仲間が興味を示してくれたので、ようやく訪れる機会を設けることができました。

 お彼岸の頃が一番の見頃だったそうで、お彼岸を少し過ぎていたせいか花は少し寂しく感じました。私の頭の中には満開時は両脇から萩が参道を覆い、人一人通るのがやっとの参道があったのですが、その倍以上の幅の石段が見えたので違和感を覚えました。長い年月の間に想像のほうが膨らんでしまってったのでしょうね。

 思い起こしてみると訪れるのは二十年振りくらいです。本堂の奥に宝蔵ができていました。かつて本堂で圧倒的な存在感を放っていた閻魔王像は宝蔵に移されていました。境内は整備され、奈良盆地を一望できるようになっていました。


「高円の 野辺の秋萩 いたずらに 咲きか散るらむ 見る人なしに」
(万葉集 巻2-231)

 「高円」は現代では「たかまど」と濁音になりますが、万葉集の頃は「たかまと」と清音で読んだそうです。この辺りには聖武天皇の離宮があったとか、この寺の場所にはもともと天智天皇の親王の志貴皇子の離宮があったとか語り継がれています。この歌は志貴皇子の死を悼んで主のいなくなった高円の地にさく萩の花を詠んだものです。


 境内にはこの歌を刻んだ犬養孝さんの歌碑があります。私が学生の頃、犬養孝さんは大阪大学の名誉教授で万葉集の研究家として知られていました。犬養先生の教え子が訪ね歩いて作った地図をもとにした「万葉の道」(福武書店全四巻)という本を参考にして万葉集ゆかりの地を回りました。
                        (次回に続く)

※ 英語教室と言うのは、英会話教室とは別に参加している自主サークルのことです。昨年公民館の主宰する「英語で奈良を案内する講座」に参加し、この講座の修了生で作る自主サークルに加えてもらいました。もちろん講師は同じ先生でガイド資格を持った現役のガイドさんです。英検の1級も持っていらっしゃって、英会話は臨機応変、英文読解は的確、観光案内は深い知識を持ちながら、ウィットに富んで面白いという至れり尽くせりの先生です。生徒は難関のガイド試験を目指すというより、余暇にボランティアでガイドをしている方や、それを志す方が多いようです。ただどなたも熱心で、今回は有志で訪れたのですが、みなさんガイドに役立てようとじっくりと見学していました。






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最終更新日  October 7, 2005 12:12:24 AM
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