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私のまわりには哲学的なことを言う人がたくさんいる。
会社の食堂でゴルフゲームの話題になった。ネットのゴルフゲームでは、どんなショットでもホールインワンになる裏のツールが存在するのだという。それは大変におもしろいねと言うと、友人から反論された。 実際にホールインワンになるツールを使用してみると、とてもつまらないという。どんな打ち方をしようとも常にボールがカップに入ってしまう、その単調さに耐えられないと。だからネットゲームでそうしたツールを使用した人は、飽きてしまって長続きしないと。 同じ話を会社の先輩にもちかけてみた。するとリアルのゴルフではカップの大きさをもっと大きくすべきだという議論があるのだという。 現行のカップの大きさではあまりにも小さすぎて、最終的にパットの技量を競うものとなってしまう。技量というよりも運に左右されるものになってしまう。これではあまりにもせせこましいし、運試しになってしまう。 そうではなくて、もう少し穴を大きくして、ショットの技術を競うものとしたほうが、ダイナミックでスポーツ性があるというもの。 魚釣りにも同じようなことが言える。魚を釣り上げることをどんどん難しくしていく方向と、単純にしていく方向だ。 5月連休の数メートルおきに釣り人がいるような秩父の大血川や入川に行って、少々古風で大きめのドライフライ一辺倒で攻める。 あるいは平日の同じく秩父の八百谷や水晶谷に行って、細糸にミミズのエサ釣りをする。 私はどちらも好きなやり方だ。大きなドライフライに魚がアタックしてくるのも好きだし、雨で少々濁りの入った川でミミズを流して、ゴクンゴクンと魚の感触が伝わってくるのも好きだ。 ただし適当に釣れればという条件がつく。 私はリアルなゴルフもゲームのゴルフもしない。けれど、魚釣りに対比して考えるとわかりやすい。 魚釣りも、ゴルフも適当に難しくて、適当にやさしいのがよい。あまりにも難しすぎたり、安易すぎたのでは飽きてしまう。 実生活だって、適当に敵がいて、味方がいる。敵ばかり、味方ばかりの一辺倒ではおもしろくない。だから自然にこういうキャラクター設定になる。 日常生活もゴルフも魚釣りもゲーム感覚にとらえるとたのしい。 おしまい お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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