|
カテゴリ:カテゴリ未分類
Pain is inevitable. Suffering is optional.
「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」 (『走ることについて語るときに僕の語ること』、村上春樹著) 仕事がうまくいかなくて、そのことを悩む、悩まないは本人の自由だ。同様に女にモテない、お金がない、といったことも事実は同じであるが、そのことをどう思うかは本人次第だ。 魚釣りをしていて、釣れないときも、そのことを苦痛に感じるかどうかは本人の感じ方による。 たとえ魚が釣れないときでも、幸せだと思えれば、人生の中での楽しい時間の占める割合を増やすことができる。 反対に釣れないことに怒りをおぼえると、怒っている時間が増えてしまう。そればかりか、たのしいはずの魚釣りが苦しく感じられるようになってしまう。 たしかに釣れなくても楽しいのだからと、なんの改良も工夫もしないでいつもボウズというのもどうかと思う。あくまでもその人の感じ方だからどうでもいいのだけれど、少なくとも私にはその考えはあわない。 魚を釣るためにできるだけのことをする。適切な道具をそろえ、テクニックを検討し、ポイントとタイミングを調べ、体調を整える。いつも完璧にというわけにはいかないけれど、60点から80点の範囲で準備ができれば私の場合は満点ということにしている。 これだけのことをして、それでも釣れないときは釣れない。そういうときは、魚は私のために存在しているのではない、と思うことにしている。あたりまえでシンプル。魚が人間のために生きているはずがない。あちらは、あちらの都合で生きているにすぎない。 うーんと、なんの話をしていたのだっけ? とにかく魚が釣れないからといって、簡単に怒ってしまうようではイカン。と、こういうことを言いたかったのだ。 魚釣りができるということは、時間と道具をそろえるお金がなければできない。もちろん自身の健康と豊かな自然は必須アイテムだ。そう思うと、今こうして川に立っているということはとても幸せなことだ、と感じることができる。そうに思えれば魚が釣れなくてもいくぶんかよい釣りになると思う。 さらに川や魚のコンデションだって50%以上であれば、グッドコンデションということにすれば、ずいぶんとよい釣りの回数が増える。少なくとも途中で「もうダメだ」とへこたれてしまうことは激減するはずだ。きっと。 おしまい 「「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目だ」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである。」 (『走ることについて語るときに僕の語ること』、村上春樹著) やはり物事は『バカの壁』方式で人それぞれの認識のちがいで感じ方が変わるものらしい。例えば10億円持っていても「俺は貧乏だ」なる人がいる。一方で、年収が1000万円程度で「中流だ」と感じる私のような人もいる。ということか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月29日 21時13分53秒
コメント(0) | コメントを書く |