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例えば引っ越し用のトラックに誤って閉じ込められてしまう。それが過去の気になるつらい記憶とまじりあう。以来、狭いところに入ると息ができないくらい動揺してしまう。
映画を見ていて、狭い場面が出てくると映画館から出てきてしまう。実際のエレベーターにも乗ることができない。
呼吸がうまくできなくなるから。
これは『騎士団長殺し』(村上春樹著、新潮社)に出てくる主人公の悩み。
人は何に悩むかわからない。また、複数の悩むべきことがある場合は、その中で一番気にかかるものにしか注意がいかない。さらに、たいていの人は悩みを多かれ、少なかれ抱えているものだけれど、自分の悩んでいることが世界で一番だと思い込んでしまう。
自分で何とか出来ればそれは悩むことはないけれど、なんともできないからずっととらわれることになる。
ところで、これは小説や映画に触れるときに新たな楽しみをもたらせてくれるかもしれない。特定の記述や場面が出てくると人格が剥離してしまうほどの衝撃を受けてしまう。両手と、両膝を地面につけ、頭を深く下げる。顔にびっしょりと汗をかく。
どのような小説でも、映画でも(この場面が出てくるのじゃないか)と人には言えないスリルを味わうことができる。
もちろん、最後まで見て、読み切って、そうした場面に出会わないで済めば著しい安堵感と幸福感に浸ることができる!新しい天体を見つけたほどの喜びを味わえる。
新しい楽しみ方を手に入れた。ついてる!
自分で何とかできるものは自分で何とかする。敵を利用する。
こう考えれば自分が更新できるかもしれない。
おしまい
※『騎士団長殺し』(村上春樹著、新潮社)に出てくる主人公の悩みはこのようなものではない。ラスコーリニコフ的な重いものだ。だけれども軽度なものならいけるかもしれない。(ああ、俺はラスコーリニコフほどの悩みはかかえていない。よかった!)と。
※ある程度の年齢になると、純粋に文学を楽しめなくなるというのはこういうことだろうか。なにしろ自分の悩みが刺激されると息ができないくらいになってしまうほどではないにしても、自分のあまり好ましくない過去が喚起される・・・思い出すと背中に汗をかくようなことが生きている時間の分だけ・・・確率的に・・・蓄積されるものが多いから。
過去からついてくる持ち越し苦労、これからのことをあれこれする取り越し苦労、人のことまでかんがえる持ち出し苦労。こうしたものがかかわって、文学を・・・考えすぎか。
純粋に楽しめる以上に楽しめる。そういう可能性がある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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