大切な人をまた失った。
10月16日(月)の朝、母方の祖母が90歳で永眠しました。
とても安らかな微笑みを浮かべ、天国へと旅立っていきました。
今年は、1月に父方の祖母が亡くなり、2月に妻が亡くなり、時を同じくして妹が生死の境をさまよいそして10月に祖母が亡くなり、この2006年は「人間の生命」について深く考えることのできた一年になりました。
人はこの世に生を受け、そしてその人なりの一生を全うしてこの世を去っていく。
辛いこと、哀しいこと、楽しいこと、嬉しいこと、幸せなことさまざまなことを経験して。
どんなに地位や名誉のある人でも、必ず訪れる死。
こんなことを今、思い考えられたことはある意味幸せなことなのかもしれない。
人が生きるとは、人生とは。
先日、福知山線の事故で伴侶を亡くした女性が事故後1年半経って後を追ってしまったニュースを目にした。とても哀しく辛く希望の見えない時間が流れていたのだと思う。経過は違えど伴侶を失ったということは同じなのでとても気持ちはわかる。だから彼女を否定することはできない。
でも、生きたくても生きられなかった人、今必死に生きようとがんばってる人の気持ちを思うと僕にはその選択肢はなかった。
生きてさえいれば、また必ず明るい希望が見えてくる。多少時間はかかるかもしれないけれど。
生きているということがどんなに素晴らしく、ありがたいことなのかもう一度自分の胸に掌をあてて思う。
きっと妻は僕をこの世に残して先に逝ってしまったことが無念で仕方ないと思う。
それはみなさんも同じだと思う。でもきっと彼や彼女は天国から残してきてしまった人をやさしく見守っている。幸せになってほしいと。だからそんな彼や彼女の思いに答えるべく、僕らはまた幸せを掴まなければならない。
ある学校の先生の作ったものです。
『あ行で生きる』
あせらず
あわてず
あきらめず
今を生きる