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テーマ:今日のご飯♪(2323)
カテゴリ:麺・そば・パスタ
あぁ、今日も食った飲んだ。
朝食は、パン、イチゴジャム、トマトジュース、アイスカフェオレ。 今日は肌寒い雨の1日。 せっかくの桜もこれでおしまいか。 電車の中で新聞を読んでいたら興味を引く記事を見つけた。 サマータイム導入に関連したものだ。 記事の内容はさて置いて、サマータイムというのは誰が何の目的で旗を振っているのか知らないが、いつまでも浮かんでは消えし続けている。 聞くところによると戦後数年間導入されたことがあるらしいが、週刊文春の小林信彦のコラムには、とにかく眠かった、2度とゴメンというようなことが書かれていたし、先日別なところで読んだ記事では「沖縄では通常の時間帯だって朝は薄暗いのに(北海道より2時間近く日の出が遅い)、サマータイムなんて導入したら真っ暗な中を起きだして通勤通学しなければならなくなる」という。もっともだ。 これまた受け売りだけど、サマータイムというのは欧州諸国などの高緯度地域には向いているかもしれないが、日本には必要ない。 (昨年、我が国における高緯度地域である札幌で実験をしたのは、なんとも巧妙である) さて、本題。 興味を引いたのは、こういう話だ。 我が国の江戸時代は一種のサマータイムであった、というもの。 つまり、江戸時代の「一刻」というのは、日の出から日の入りまでの時間を6等分した時間だったというのだ。 これにより、昼の時間の長い夏至の頃の一刻は約2時間半、昼が最も短い冬至の頃なら約1時間半が一刻。 お天道様が出ている時間を有効に使うという点でサマータイムと同じ思想を持つ。 が、ここで疑問が湧いた。 そのようにして時間を決めていたということは、日の出と日の入りの時間を把握していたということだ。 何時何分何秒という概念を持たなかったにもかかわらず、どうやって日出・日没の時間を知ったのだろう。 そして、昼の時間を6等分といったって、これまた時分秒の概念無しに「今日の一刻はこの時間」と決めることができたのだろう? それともう一つ。誰かが標準時を管理していたのだろうか、そしてそれをどのように伝えたのだろう? 祖父のそのまた祖父ぐらいが生きていた時代の話なのに、知らないことが山ほどある。 昼食は、雨に負けて、社食で天ぷらそばとおにぎり。 今日の天ぷらは海老のかき揚の筈だったが、私が行った頃には売り切れていたらしい。よく分からないが野菜(人参とジャガイモ?)のかき揚だった。 揚げ過ぎで黒っぽくてやや焦げ臭さい。 午後は、天ぷらの胸焼けと眠気に苛まされながらも、なんとか夕方まで持ちこたえた。 早めに帰宅したが、娘は塾。 妻は黙々と作業中。 仕方ないのでテレビをつけたら、なんと12チャンネルで大食い選手権! 久し振りだなぁ。 どこかの誰かがテレビを真似て早食い競争をして死んで以来、封印されていた名番組が復活したようだ。 と言いつつ、娘を迎えに出て、戻ってきた頃には最後の数分。 若者たちが泣きながらラーメンを食べていた。 かつては、様々な名場面やヒーロー・ヒロインたちを生み出したこの番組。 また、新たな栄光の歴史を作り出すことができるだろうか。 夕食は、パエリア、スモークサーモンとオニオンスライス、瓶詰めウニ。 今夜も晩酌はヘネシー。 満腹、満腹 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年12月10日 23時35分24秒
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