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テーマ:旅の写真(3468)
カテゴリ:単身赴任
初めて東大寺二月堂修二会いわゆるお水取りを見たいと思ったのは、大学を卒業する時だった。 卒業旅行にと考えたが、その時は叶わなかった。 あれから30年近くその願いを実行に移すことがなかったのだが、とうとうチャンスが巡ってきた。 奈良に住む友人から、招待券が手に入るので見に来ないかと誘いがあったのだ。 一般観光客では入れない内部まで案内してくれるという。 否も応もない。 お松明は午後7時半からだというのに集合時間は3時半。 友人が東大寺関係者にリサーチしたところ、昨年は5時頃には観光客でごった返し、招待券を持っていても招待席に辿りつけないほどだったという。 が、あっけなく4時前には会場に着いた。 友人とともに二月堂舞台下に座り、延々3時間半のあいだお松明の開始を待つ。 その間に大仏殿の大屋根の向こうに日が沈んでいった。 そして7時半。 三度の案内があり、籠松明が上堂していく。 舞台に松明が上がった。 多くはないが火の粉が降ってきた。 燃えかすも飛んできた。 大興奮だ。 しかし、松明は始まりに過ぎない。 二月堂横の休憩所でうどんで腹ごしらえをした後、ついに堂内に入った。 それから7時間近くお堂の中で過ごしたのだが、時間を感じさせないほどに次々と行が行われ、まったく目が離せない。 神名帳、過去帳(「青衣の女人」もはっきりと聞いた)、走りの行、五体投地、香水授与、お水取り、達陀。 朝4時下堂。 白洲正子さんが「お水取りの場合、あまりにも多くのものが混入し、しかも完璧に演出されている為、知れば知るほどわからなくなる」と「十一面観音巡礼」に書いている。何度も見ている白洲さんですらそうなのだから、初めてみる私はただただ困惑するばかりだ。 とはいえ、まだ夜が明けぬ東大寺の境内を抜けホテルに向かう道々、満ち足りた気持ちに包まれていた。 3時間ほどホテルで仮眠をして、朝食後に再び二月堂を訪れてみた。 次にまたチャンスがあれば、最終日にすべての行を終え満行下堂する練行衆の姿を見たいものである。 誘ってくれた友人をはじめすべての関係者に感謝。 注:タイトルの句は芭蕉の作で、「水取や氷の僧の沓の音」が正しいようだが、白洲正子さんの「十一面観音巡礼」の表記に従い「こもりの僧」とした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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